【事件激情】ネバダたん──“史上最も可愛い殺人者”(10終) 佐世保小6同級生殺人事件

noriaky1112010-04-10

Chapter10(終) ─審判の日─


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▽参考文献
▼取り入れなかった噂・デマ・中傷・事実と確認できない話



■子どもたちは立ちすくみ……


事件の1週間前に少女をからかって、カッターナイフを振り上げられた同級生男子がいた。
市教委の報告書にその一件が「予兆」と記載され、さらに校長が「男子から報告がなかったのは残念」的に口にした。その男子は「自分のせいだ」と悩んでPTSDになった。

2010年3月──。この件について九州弁護士会連合会が、市教委と元校長に問題があったと勧告した。


少女の属していたミニバスケ部の関係者は、
「あの子はとくに上手くなかった。退部した後、一度だけ試合に呼ばれて、自分は必要なんだと思ったかもしれない。でもクラブとして評価は高くなかった。それで蔑ろにされたと思ったんじゃないの」
と、したりげにマスコミに話した。
やはり少年スポーツの大人は信用できない。



その年、児童雑誌が全国の小6に行ったアンケート。
「どうして口げんかだけじゃなかったの?殺すより、けんかして嫌いになったほうがましだと思うけど」
「ぶんなぐる、ひっぱたく、くらいになぜしなかったの?
「すごく、ふたりともかわいそうだと思った」
「一学年一クラスなのに担任は何してたん
「親に彫刻刀を没収された」
子どもたちはショックを受けていた。そして大人たちなんかよりよほど真摯に冷静な目で“自分たちの問題”として事件をとらえようとしていた。
過半数の子が「友だちとは事件の話はしなかった」と答えた。


2004年秋──。
元同級生の男子が、被害少女を悼み、「なぜ」と揺れ動く心を書いた詩「トケイソウ」が、伊藤静雄賞の佳作に入選した。



■「親にどうしろというの?」



少女は聴取にも淡々と感情を乱すことはなかったが、両親が面会したときだけは動揺し、目をそらして黙った。「どう反応していいのか分からない」という様子だった。


からの手紙に「戻ってきて」と書いてあるのを知って、少しだけほほ笑んだ。「5年生のときに合宿から帰ったら『もうちょっと泊っておけばいいのに』と言われてがっかりしたから」。


彼女はだんだんと自分がしたことの結果を理解していった。被害少女の父親の手記や、両親が遺族に送った手紙の内容を読み聞かされ、ぽろぽろ泣いた。「悪いことをした」「どう謝ればいいんだろう」


あまりにも皮肉ながら、少女はやっと家族の絆を手に入れることになった。



少女の精神鑑定には3か月もかかった。


それを受けた家裁の審判──。
「怒りの感情を適切に処理できない」が「精神病性の障害はない」。「広汎性発達障害の可能性はあるが基準を満たすまでの顕著な症状はなく」
……なんだか回りくどいが、つまり、キレるとあぶないがビョーキってほどではない、か。


さらに、対人関係に考えを向けられないだの、物事のとらえ方が断片的だの、聞くより見る情報を処理するだの、抽象的なものの言語化ができないだのいろいろ指摘が並ぶが、
こんな程度↑ならそのへんの小学生にいくらでもいる。
鑑定結果には専門家からも異論が相次いだ。正直どのような見方だってできた。大人のつくり出した理屈は「異常な事件を起こした普通の子」にはまったく無力だった。


鑑定書を何度も読んだ被害者の父も「なぜ」が分からないと嘆いた。「鑑定や調査の限界なんだろうか」「普通の子が怒りの末に人の命を奪うという一線を越えた行動が理解できないでいる」


家裁はまた、両親の子育て責任も厳しく“断罪”した。
娘が2歳のときに父親が病気になり、母親が家計を支えなければならなかった事情があるとしても、娘に情緒的な働きかけをしてやらなかったこと、大人しく手のかからない子として娘の問題性を見過ごしてきたこと──、


報道でそれを聞いて同級生の親たちはため息をついた。
「自分が少女の親の立場でも気づかなかった
「家計のためにパートに行くことだってある。親にどうしろというの?
普通の子に見えても危ないと? どうやって知る? 仲良しの友だちと殺し合いになるから一瞬も目を離すなと?
被害少女の父でさえ、「そのような家庭は珍しくない。自分もドキッとした」


少なくとも彼女は殺人淫楽症でも、破壊的な性衝動の持ち主でもない。それなのに事件は起きた。「異形の怪物」として封印しておしまいにはできない。


退廷するジャージ姿の少女に、家族が「頑張って」と声をかけた。少女は無言でうなずいた。



家裁の決定によって──、
少女は日本でただひとつ行動制限のできる女子用の自立支援施設「国立きぬ川学院」へと移された。


そこで彼女は発達障害の一種アスペルガー症候群(おそらく軽度)と診断された。


それを知った人々はよく判らないまま「やっぱり」と安堵した。やっぱり普通の子じゃなかったんだ。そうだよなあ、と。
ほらみろっ!だから殺したんだ!危険だ!勝ち誇る人もいた(ジャーナリストとか知識人と名乗る輩の中にまでいた…)


アスペルガー症候群と犯罪の関係については、本音と建前、人権、実際の状況、デマや噂などいろいろあって複雑きわまるが、それはまた別の話。
ここでは「数多い要因のひとつになったかもだが、それが唯一で最大の原因じゃない」、とだけ。



■その後の“あの子”。そして──



2005年3月──。
きぬ川学院内でたった一人の卒業式が行われた。少女は「ありがとうございます」と小学校の卒業証書を受け取った。


肩ほどだった髪も胸まで伸びていた。心理療法を受ける日々が続き、図書室で借りてきた走れメロスを読んで「友情の大切さを感じた」と話し、事件についても「反省」を口にするようになった。

入所半年経って、寮長と副寮長を親代わりとして寮で生活し始めていたが、2006年、家裁が「まだ集団生活は危ない」と待ったをかけた。くわえて部屋にカギをかける強制措置可能期間も2年延長された。


さらに時は流れて。


彼女は15歳になった。すでに学院内で同世代の少女たちと交流も始め、学院内の中学校に通っていた。

2008年3月──。少女は学院内の中学校を卒業した。

同じ年8月──。児童相談所「更正状況」「心身の成長」から、もう行動制限は不要と決めた。


被害少女の父は強制措置解除を前に会見で言った。
彼女はやり直しができて、私の娘はできないのだと改めて感じた」


少女の両親は毎月、遺族に手紙をしたためている。


その後、少女の消息は明かされていない。




2008年6月1日──。
高校生になった元同級生の約20人が母校に現われ、持ち寄った花束を亡き同級生にそっと捧げた。同じ日にあった高校総体の会場から急いで駆けつけた子もいた。



2009年6月1日──。
事件のあった小学校で5年前に起きた事件の追悼の会が開かれた。あの学習ルームは撤去されて、壁のないテラス「いこいの広場」になっている。


そこに1年生と6年生が一緒にサルビアの苗を植えた。


(終)



──亡くなられた怜美さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます──



─another ending─
> きれいごとでは済まない、もうひとつの結末