彼女の福音 : 前編【池袋出会いカフェ殺人事件】
「現場、池袋1丁目。被害者、35歳くらいの女」
そのちっぽけなピンクのラブホテルは、池袋東口から出て明治通りを北東へ、移転も間近な豊島区役所の向かいのブロックにある。
昭和系やらアート系やらなぜか落語までやってる映画館新文芸坐、ボーリング場の看板をかかげてレトロというより単に古い雑居ビルD-BOX、ストリップヌード専門館ミカド劇場。
再開発もまだまだ遠く、年季の入った2階3階建てのビルや商店がひしめく。
パチンコ、ヘルス、いかにもそちゃら向けの狭い汚いラブホ、テレクラ、個室ビデオ、まあそんなのが迷路みたいな路地にグチャグチャ現れ、その数だけネオンがぎらっぎら、
とまあ昭和仕込みの脂っこい香り、というか臭いがよどんでる、場末ええな奥の奥までもう奥の一角に。
そのラブホだが、なんとかアーバンな感じにしようと企業努力した結果よけいに場末感が倍増なんだけども。
もともとこの建物では池袋でも1、2を争う人気の風俗店が営業してたんだが、10年くらい前につぶれて、いろいろあって今のピンクのラブホになったんである。
元風俗店の物件だからぜんぜん宿泊向きじゃないわけでとにかく狭い。
小さいのに13室も客室にしたからベッド1個で部屋はいっぱい、ベッドなのか部屋なのかわからんくらいで情緒もムードも(なつかしい響き)へったくれもない。
そんなんだからここに来る客がどんなジャンルなのか想像もつくってもん。
さてこの日、
2010年 9月26日 日曜日
午前4時過ぎ。夜明けまであと1時間半。
フロント係がおかしいなと思い始めている。
そろそろチェックアウトするはずの2階の客。ちっとも降りてこない。
その男女2人は深夜2時にやって来て、
90分の予定でチェックインしていた。
なにしに来てどんな組み合わせかは考えるまでもなし。ここはほぼ100パーそのためのホテルなんだから。
途中、男の声で
「延長お願いします」
のコールがあった。でも延長分の30分も過ぎた。なのに降りてこない。
部屋に何度か電話した。出ねえ。寝てるのか。
まあフロント係が電話しただけで放っておいたのは、こういうこともよくあるわけで。
たとえば浴室で(;゚∀゚)(;゚∀゚)(;゚∀゚)とか。
そんな真っ最中にドア叩いて逆ギレされてもめんどくさいしどうせこっちが悪者にされてアホらしいし。
が、
夜も明けて、
正午も過ぎた。2階の客、いまだ音沙汰ナシ。
さすがにヘンだぞ。やっとラブホテルマンたちは2階へ向かい。
合い鍵で客室のドアを開けた。
あれ、男はどこだ、トイレか?
「えーと、お客さま、お客さま」
おずおず声をかけて、女を揺すぶって──
豊島署の署員が駆けつけた。
続いて警視庁捜査1課の腕利きたちも鑑識課員も。
ベッドの女、死んでいた。
「30代も半ば」と刑事は思った。ほかの捜査員もそう思った。
部屋に入るときは履いてたはずだ。それがない。
厄介なことに身元がわかる物も持ってなかった。というかバッグや財布すら見当たらない。一緒にいた男が持ち去ったかもしれない。
痴情のもつれで男に殺されたか?
それとも商売女が客(やはり男だが)に殺されたか?
警察の見立ては半分だけ当たっていた。
彼女は痴情のもつれじゃなく、売春の客に殺された。
まだ22歳で、
有名私大に通う女子大生だった。
「出会いカフェ」「素人売春」「池袋アンダーワールド」が背景に暗く鬱々と横たわるこの殺人事件、
これまで【事件激情】に登場してきた異形のメジャー級にくらべて、一瞬で消費され、早くも忘れ去られつつある、事件的によくある事件。
でも一見ありふれたこの事件、じつは事件激情的に底が深いんである、いやというか浅い、いやむしろ浅いからこそ底なしに深く──。
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