【事件激情】その男、K。─秋葉原通り魔事件 #06

#01 #05
   
          「やっぱり、ほっとけないから」

              ── 加藤智大の弁護側証人
   

   

トモと彼女のカレカノ未満物語

  
あの花火大会の翌日。

「おれだけど」
「ああ、うん。昨日はありがと。楽しかったです」

「うん、あ、うん。あのさ、親に家を追い出されてさ。アパートに引っ越した」
「へ? あ、あーそうなんだー」
「だから来るとか、どう?」
  
@津軽恋女が訪れると、
アパートの1DK。Kはきれい好きで部屋は整理整頓していた。
でも部屋は真っ暗。
「まだ電気通ってなくって、暗いけど」


呼ぶの早えよ
   
@ 津軽恋女は、それから何度かのアパートへとやって来た。

といっても2人で黙ってテレビを見るくらいしかない。

はテレビにあまり反応しない。たまーにお笑いでクスッと笑うくらいだった。
  
は帰り際の@津軽恋女に、
「また来ていいから」
いつもそう言うのだった。
  
@津軽恋女もまー出会い系で出会うくらいだからなんか寂しくて不安定で、人間関係もこじれて悩んでいた。

@津軽恋女は愚痴とも相談ともつかない話をよく延々と話した。
は頑張って励ました。
「生きてればなんとかなる。何かあってもおれがいるからさ」
  
泣き言の塊のようなには珍しく自分の悩みや不満を一切言わなかった。生身の女にはなんだかカッコつけるのである。
本当は、の両親が離婚寸前になっていた。

8月中頃、K母がついに家を出て別居。もともといびつな家庭だったし、が帰郷して家でとぐろまいてることも理由かもしれない。
K父青森に異動して前よりは家にいるようになってたけれど、疎遠な父子で一つ屋根の下にいてどうするというのか。結局はも実家を出た。追い出されたというよりがいたくないのだった。
  
さて、
それとなく“おれは付き合ってもいいぞ”(なぜか上から目線)的な態度をとっても、@津軽恋女は毎度それとなくかわした。
  
からしたら自宅に来るくらいだからきっと、

だから服着ろって

と思ったろうが、@津軽恋女にとって、“お兄さん”みたいな存在で、お兄さんみたいなんてあーた“大嫌い”よりも脈がないコースである。
このぬるーいかんじが続くだけ続けばいいなあたしの都合のいい間だけ、くらいの。

そこから踏み込んで…という可能性も決してゼロじゃないはずだが、あいにくはそのあ・うんを知らない。
  
知り合って1か月くらい経ったとき、
合鍵を差し出した。

なりの意を決してリスクをおかした攻勢だった。勝利を得るにはリスクを冒せfromオシム語録。
  
当然、@津軽恋女は困惑する。
「いつでも来ていいから」
は無理矢理合鍵を握らせた。
  
は帰り際の@津軽恋女に、
「また来ていいから」
いつもそう言うのだった。
   
の合鍵作戦はどうやら裏目
@津軽恋女はアパートにだんだんと来なくなっていった。「引かれた」ってやつである。メールもいつの間にか減って、いつの間にかなくなっていた。

その後、@津軽恋女はアドレスを変えたけれど、それをに知らせてくることはなかった。
  
@ 津軽恋女が再び“トモ”の顔を見たのは、
  
9か月後、
翌年6 月8日テレビ画面だった。
   

諦めれば楽になれるのに

   
9月になった。
はケータイの掲示板に書き込んだ。HNは「黒子」

  俺に彼女ができない100の理由
  09/09 15:19
  あと19日で全部改善すれば、きっと間に合うと信じてる
  
  09/09 15:50
  >>2
  魔法使いになるまで、あと19日

  
なぜが急に彼女探しに血眼(彼なりに)になったか。
25歳で童貞は魔法使い」という2ちゃんの“定説”にこだわってたからだ。だから25歳までにどうしても彼女をつくって童貞捨てたかったのだった。
でも「魔法使い」の期限は30 歳というのをカンちがいしてたらしい。
  
やけくそになったのかは下半身情報まで開チンする。
  

  09/08 17:40
  >>18
  自慢だが、童貞で短小で包茎(しかも真性)だぜ
  
  09/08 17:48
  >23
  別にモテたいわけじゃないんだが
  
  人生の伴侶が一人居れば、それで。
  
  まあ、だから「重い」って敬遠されるんだよね、
  
  とマジレスしてみるテスト。
   
  09/09 16:44
  諦めれば楽になれるのに
  
  死にたくないんだよ!!
  

  ≪童貞の夢 手つないで歩いてみたい≫
  09/09 17:56
  手つないで歩いてみたいね(´・ω・`)
  
  09/09 17:56
  いい歳したオッサンがキモいんだよ
  死ねや
    

が仕事をすぐ辞めて転々とすることについて、心理学者が理屈を展開してるんだが。幼年期の親の愛情のどうやらで、ひとつの場所で人生を積み重ねられないとか人間関係をどうのとか自分の本当にいる場所はここじゃないこしゅとう゛ぁとか。
  
まあ難しくてよく分からんのでそんな程度しか覚えてないが、こうしてみてると、はっきりしてるのは、
  
“失恋したら何もかも投げ捨てたくなる”
  
ってことである。
  
なにしろ彼女の有無が人生の絶対的評価基準。失恋するたび、自分がやってることが何もかも無意味に思えてくる、「こんな仕事!」「こんな町!」とちゃぶ台ひっくり返してリセットしてるパターンを漏れなく歩んでるような…。

そして今回もまた──、
  
2007年9月15 日
、給食トラック運転手を退職。
理由は「家庭の事情」
  
帰ってきた・おれ仕事やめました。
  

ところで、
よりひと足先に、もう一人の男もとつぜん仕事を放り出していた。

この瞬間から福田→麻生→鳩山→菅→ひょっとして?と、ローマ帝国6皇帝時代軍人皇帝14人時代みたいな日替わり総理時代が始まるわけだが、
が仕事を投げたのは安倍に遅れて3 日後のことだった。
  

上州女に空っ風

  
青森市ハローワークや若者向けのジョブカフェに通って就職相談をした。ジョブカフェには5回も行った。

車関係の仕事につきたい」
と握りしめていたのは、自動車メーカーの求人票。なかなかうまい具合には見つからない。
青森は全国でも1、2位を争う平均賃金の低い県で、万年不況だった。
  

が、
は魔法使い化回避だけはもくろみ続けたらしい。
   
@ 津軽恋女との仲があえなく自然消滅に終わった頃、例の、群馬上州ギャルに「会いたい」と持ちかけてる。なかなかゲンキンな
  
さいわい?仕事は辞めたから自由に群馬県へも遠征できた。
  
群馬の上州ギャルは、がうじうじダークサイドのおれをダダ漏れさせてたにもかかわらず、見捨てることなく接してくれた頼れる女性だった。


「会いたい」希望に「いいよ」とあっさり応じてくれて、は初めてリアルの彼女に会いに行った。
  
初対面の上州ギャルの“不細工な顔”にも嫌悪感は示さなかったし、掲示板でと変わらず接してくれた。
ふつうそんなもんだ。のばやい、顔写メで縁切りされた原体験が悪すぎたし引っ張られすぎた。
  
上州ギャルは、ものすごくふつうに遊んだ。
ゲーセンで遊んだり、一緒にプリクラを撮ったり、カラオケに行ったり(もちろんはアニソン熱唱)。

でも酒が入ると、は本領発揮、「おれがすべて悪いんだ、ごめんなさい」と上州ギャルの前でぐずぐず泣いた。
掲示板の悩み相談で気を許してたのか、
「独りが嫌なんだ」「おれはキモヲタ」「不細工だから」
と後ろ向き発言ばかりで、
「なんでそこまでネガティブになれるかね」と上州ギャルを呆れさせた。

上州ギャルに「掲示板で知り合った兵庫県の子が好きだったけど、ダメだった」なんて哀れっぽく恋愛相談までした。
この兵庫の子っつうのは@津軽恋女のことを地名だけウソついて語ってたのか、また別口にちょっかい出してたのかは定かじゃない。はよくヘンにこまごましたところで見栄を張る
  
は、上州ギャルのいる群馬に、9月から10月にかけて3 回遠征している。

上州女たちが「天狗みこし」を担ぐ凄い祭り
  
上州ギャルは、少なくともの社交的とは言いがたい気質も分かった上で受け入れてくれていた。寛大というかなんというか、彼女はとのデートを普通に「楽しい」と感じていたし、必ず土産を持って来るを「気づかいのできる繊細な男」と受け取っていた。
  
も遠く群馬まで会いに行ってるところからし上州ギャルを頼りにしてたんだろう。
“男/女友だち”の域からはちーとも出られなかったが。どうも2人の間には初めから「男と女」じゃない空間が出来上がってしまってたんじゃないだろか。

にとって、たぶん上州ギャルは「おかあさん」になってしまった。自分を理解してくれた上で全面的に受け入れてくれるおかあさん。10秒ルールで叩いたり床でモノを食べさせないおかあさん。リアルで決して会えなかった優しいおかあさん。
  
居酒屋のおっさんに「群馬に行きます」とあいさつしに行った。
たぶん上州ギャルのいる群馬方面で仕事を探そうとしていたのかもしれない。

「おう、そっか、がんばれよ」
居酒屋のおっさんと飲み仲間は壮行会みたいな飲み会(つまりいつもと同じ)で送り出してくれた。
  
でも上州ギャルはやっぱり他人。いくら受け止め力があっても優しくても、おかあさんとイコールじゃないのだ。
  

と、なんだかかゆい話が続いてこれが【事件激情】なことをあやうく忘れちまいそうだが、そうなんである。加藤智大と、ほかの通り魔殺人犯たちの何が違うって、
いちばん違うのは、このかゆさ、

驚くほど凡庸、

驚くほど普通、

そのへんにいるワ士らとあまり違いがない、平凡にダメなやつ。

中流意識が崩壊して世間の殺伐臭は濃くなったとはいえ、
いくらなんでも、グンパンもろ出し逮捕された川俣軍司みたいにシャブやりすぎで1日1回ペースで仕事をクビになり続けてエロ電波まで感じて電波系のパイオニアになるなんてなかなかないし、

 

造田博みたいに親が借金のこして千円一枚置いて蒸発したり渡米して教会の寺男したり元同級生をストーカーしたりなんて人生波瀾万丈な墜落はなかなか経験できない。
造田の3週間後に事件を起こした上部康明のような、九州大卒>精神病院通いしつつ転々転職>一級建築士合格>建築事務所経営>経営難>廃業>運送業開業>台風で軽トラ水没>ムキーッ(ノ`A´)ノ⌒┫、つう激しい人生上下動も滅多にないだろう。

 

宅間守は母親に胎児時代から「あかんねん、これ堕ろしたいねん、絶対あかん」と言わしめ、3歳にして車道の真ん中を三輪車でわざとゆっくり走る嫌がらせを知っていた。暴力や強姦で10 回以上も逮捕され、なのに5回も結婚したモテ系、というウソみたいな凶悪人生も無理だろう。
 
造田博@池袋通り魔事件  上部康明@下関通り魔事件 
川俣軍司@深川通り魔事件  宅間守@付属池田小事件
  
なんだかんだいって、彼らは犯行のずっと前から別世界の住人だ。

  
でも、加藤智大なら?
  
加藤程度の平凡でしみったれてチャチな墜落なら掃いて捨てるほどある。
珍しくもなく。ありきたり。
  
同じ、普通におれらと。
   
だからこそ、近い世代、似た境遇の人々が心を抉られた。
  

「何か世の中の役に立ちたい」

  
マイキー@大学3年生。相変わらず1人で10人分くらいの濃厚な人生を送っていた。
  
学業は当然ながら熱心。そして優秀。
音楽学部では学内でのコンサートもさかんだが、マイキーはパソコンでプログラムやチラシなど販促ツールをデザインし、あちこち駆け回っててきぱきと運営の役割をこなした。
  
秋にはマイキーの地元、東京都北区のホールで、毎年恒例の「ONフェス」が開催された。

ONフェスは30年近く続いてるアマバンドコンテストで、ヤマハソニーのプロデューサーが審査員をやったり、参加バンドのハイレベル度で有名。ここで注目されてメジャーデビューしたバンドもいたりする。
なによりNPO主催で運営から進行から何からすべてボランティアでやってるってのもONフェスの誇るべきところで、音楽ならクラシックもロックも歌謡曲も大好きな地元っ子マイキーも、当然ながらスタッフとして参加して例のバイタリティとハイスキルで駆け回った。
  
で、いつの間にか、
マイキー、司会もやってよ」
と、当日の司会進行まで任されてしまったりもする。

マイキー自身はトチらないように必死だったが、そこはほれマイキーだから。初めてと思えないほどうまく気の利いた司会をやってのけた。プロの審査員も「あの子、進行上手いね」と感心したほどの神進行だった。
  
打上げでマイキーは「緊張しましたよー」とただただ照れた。
  
純粋に音楽のため、と思ってやることが、すべて貴重な財産になっていく。まあそういう人も世にはいるものだ。

  
マイキーはよく友だちに言った。
  
「音楽と関わっていたいんだ。ずっと」
  

この頃、
のケータイ掲示板へのカキコ──。

  何か世の中の役に立ちたい
  18:49
  ホストクラブで自爆テロとか
  
  19:10
  秋葉原歩行者天国の方がいいかしら
  



10月も終わり頃、群馬遠征3 回目。

上州ギャルは、やって来たの様子が今までと違うのに気づいた。なんだか追い詰められたような。何があったの?
  
死ぬつもりでここに来た」
  
げ。まじ?

そりゃ上州ギャルもびっくりだ。
「やめなよ、なんとかなるって」となんとかなだめた。わけを訊いても言おうとしない。
  
別れ際も、「またね。メールして。メールするし。電話でもいいからさ」と励ましながら見送った。
上州ギャルと会話したのはそれが最後だった。
   

はいっこうに連絡してこない。電話をかけてもつながらなかった。

「大丈夫かな、あいつ…」上州ギャルは不安にかられた。あたし、何か怒らせるようなこと言ったっけ? 言ってないと思うけど。何なんだろう。
あの全身ネガティブキャンペーンみたいな男、なんか憎めないのだ。何か悩みを抱えてるなら、なんとかしてあげたかったが、気づけば電話やメール以外にあの男と接触する手段がないのだった。

  
32か月後──、
2010 年6月30日

加藤智大弁護側の証人として、意外な人物が出廷した。
  
「現実味がわきません。そんなことができる人とは思いません」
  
上州ギャルだった。
  
大量殺人犯の情状酌量の証言なんて普通みんなやりたがらないだろうに。実の母親K母ですら“心身不安定”を理由に青森から一歩たりとも動かなかった。
なのに、上州ギャルは断らず証言を引き受けたんである。
  
なぜ?と聞かれて、上州ギャルは答えた。

「やっぱり…ほっとけないから
  

事件を知った青森の居酒屋のおっさんと飲み仲間たちは、「なぜおれたちに言ってくれなかった」と怒り、悲しみ、悔しがった。
  

「今日は彼に会うために来ました」
幼なじみもまた、弁護側証人として証言した。
「こんなに悩んでいたとは知らなかった。頼れる人がいないと書かれていて、切なくなりました
と証言した。
「今でも彼を友だちと思っています
  

独りぼっちだと絶望し続けた
  
でも、心から気にかけてくれる人たちがちゃんといたじゃないか。
  

なのにはまたもやリセットしてしまった。自ら“こちら側”にとどまるチャンスを投げ捨てた。
  
居酒屋のおっさんたちにも、上州ギャルにも二度と救いを求めることもなく。
  

2007年11月、富士山麓“最後の転職先”に姿を現したの内側では、

何かが壊れていた。
  
  


▽2007.10.xx

▼2008.06.08

  
【つづく】 > #07 「アキバ・ザ・バビロン」

  
[参考文献]
閾ペディアことのは 秋葉原通り魔事件掲示板書き込み

【事件激情】