【事件激情】その男、K。#01 秋葉原通り魔事件

ある正午のひととき。23分前


  
は正直少し怖じ気づいているわけで。
  
自分でも訳が分からない勢いでここまで来てしまった。

目的地から100mくらい離れたところにトラックを止め、ディスカウントショップでトイレを借りたりして。
時間つぶしでもあった。でもびびってもいる。あまりの人の多さに。ここってこんなに人いたっけ。くせになってるケータイいじりを神経質にしたりして。

街ではそろそろ交通規制が始まるんじゃないだろうか。
  

ちょうど3丁目の交差点で南北の通りの自動車通行規制が始まった。

警部補は交通整理中。今日初めて組む女性巡査は娘といってもいい年頃で、制服ではなくポロシャツにチノパンの私服だった。このところ騒ぎを起こすパフォーマーたちを見物人にまぎれて取り締まるためだ。
そんな格好だとまだ学生にも見える。聞けばまだ警察学校を出て2年目というじゃないか。
キビキビと張り切っていて公僕たらんと瞳をキラキラさせて。
まあおれも年を食うわけだ、などと50代の警部補は思ったりもする。
毎週日曜の恒例。今日も一日立ち仕事だ。やれやれ。
  
  

大学生4人組は新宿でアニメを観た帰りに、マンガを買うのと昼メシのためにこの街に来ていた。
「つけめん食おか」
「そのあとゲーセンな。ぷよぷよ、今日こそ勝つかんな」
「おお、涙目にしてやんよ」
  

今年3月に引退したばかりの老歯科医は、医者になった息子と一緒に新しいデジカメを買いに来ている。

「へえ、けっこう安いもんだなあ」
「買っちゃおうか」
老歯科医は上機嫌だ。息子と2人でなんだか楽しい。
今日はいい一日になりそうだ。
  

アルバイトの彼女はいつものようにツートンカラーのワンピースに着替えて11時から持ち場に入っている。
そろそろ人も増えてくる。あと少しすると店の前は行き交う人でいっぱいになるだろう。さあ今日もがんばろう。

携帯電話のチラシを手にとって、アルバイトの彼女はさっそく通行人に笑顔を向けて「こんにちわー、ソフトバンクです」と声をかける。
  

単身赴任中の父親は、妻と娘が上京してきたのでせっかくだからとこの街に連れてきている。
父親にはなんだかけばけばしくて派手派手しくて賑やかすぎる気もするが我が女性陣は楽しそうだ。まあそれならいいか。
  

タクシードライバーは今日も街を流している。
ハンドルを握る手はかつてホテルのシェフ時代には包丁をにぎり、店をもっていた頃は何から何までやったものだ。

行き先を聞いて、あそこは今日人出が多いし帰りに客を拾えそうだ、なんて脳内の電卓をかちかち打つ。
とうにオヤジの自分にはあのヘンな街の何がどう楽しいのかいまいち分からんし、好きじゃないが。
  

大学職員の彼女は友だちとテニスの約束をして、ラケットバッグを下げて交差点のソフマップ本館で待ち合せていた。
「ごめん、パソコンの部品を引き取ってもらうからちょっと待ってて」
「うん。じゃ、そのへんにいるから」
大学職員の彼女は店内をぶらぶらと歩き始める。
  

「駄目だな、この台は」
会社員2人組はパチンコ屋から出た。午前中目一杯張り込んだのにちっとも出やしない。
昼過ぎには友人があと1人合流することになっているがまだ少しある。
「もうお昼だね」
「じゃ、昼めし食おっか」
  

カップルの彼女は、婚約した彼氏と一緒にネットカフェにいる。
前日から泊まりでこの街へ遊びにきていた。

ネットカフェで少し仮眠をとって「そろそろ始まるよ」と2人は店を出ることにした。
コスプレの女の子が目の前を通り過ぎた。
あれメイドだよね。すごいねえ、ここはああいう格好の人が当たり前みたいに歩いてるんだ。
  

トラックの運転席。はふたたびケータイを手にとった。
掲示板を見た。やっぱり誰のカキコもない。自分が今朝から延々と打ち続けたカキコがむなしく積み重なってるだけだ。

ああいう風に書けば、誰か止めてくれると思ったのに。やっぱり誰からも無視されてるんだもんな。不細工なおれは。
リアルでもネットでも一人。

はキーを操り、スレのタイトルと1番の書込みを書き換える。
 

  ──を使います みんなさようなら
  
  

昼12時10分。
  
は最後のカキコをした。
  


  
  
の向かう先は──、
  


  
2008年6月8日 日曜日
昼12時33分──、
  
東京都秋葉原
歩行者天国
通り魔事件が発生。
  

  
死者7人、重軽傷者10人
    

  
白昼の繁華街で起きたこの大量殺人は、のち、   
秋葉原通り魔事件」「秋葉原無差別殺傷事件
と呼ばれることになる。
 

この事件はその後もスキャンダラスに尾を引いた。
  

オタクの聖地といわれる最もホットな街の、しかも名物のホコ天で起きた無差別殺人だったこともあって、海外でも大々的に報道された。


  

一方、事件直後の日本のマスコミはといえば、


  
こんなかんじで、




  
とまあ、
「オタクがネットやゲームにはまって現実との境が…」
とか、いつかどこかのコピペのような報道ばかりで、
圧力団体もなくてやりやすいオタクバッシングにもっていこうという思惑が見え見えで、
  
犯人が、某自動車メーカーはっきりいってトヨタ系列派遣労働者なことも、派遣切りが直接の引き金となったことも最初の頃ほとんどシカトされていたこと。
  

一方で、死者を含む17人の被害者たちが対照的なよき市民よき家庭人だったこと。
当時、一大観光名所と化していた秋葉原の性格を反映して、10代から70代まで年齢層も幅広く、じつにさまざまな階層、さまざまな職業の被害者がいたこと。
  

とくに犠牲者の中に、犯人とは540度正反対つまりハンパなく180度正反対なリア充”の女子大生がいたこと。



美人でエリート一族で美人で美人で高学歴で美人で性格もよくて人気者で美人で将来有望で美人で音楽の道を目指していて美人でその夢が叶う寸前で美人で美人という華やかなスペックはいかにも悲劇好きなマスコミ好みで、事件直後から異常なほど脚光を浴び、「彼女」ばかりが悲劇のヒロインとして過剰報道されるようになったこと。
  
 
だがその陰では、犯人負け組の聖人として英雄視し、


  
被害者のはずの「彼女」の死さえもリア充ざまあw」と嘲り中傷するささくれた空気がネットにあふれたこと。
  

やがて大企業の正規雇用人材派遣会社の異様さ、ワーキングプア派遣切りの要素に目が向けられ、
アニメやゲームじゃなくて格差社会のせいである」という見かたがじわじわ広がっていったこと。
皮肉なことに、事件をきっかけに少しだけ問題が注目されるようになったこと。
  
さらに犯人異様きわまる家庭環境も浮き彫りにされたこと。


  
正直いうと、例によってこの事件、こまかなところはスルーしていた。毎回スルーするワ士。テレビを見ないと大抵のゴシップはスルーできるもんだ。
  
この事件、初めは犯人の憑かれたよう粘っこい非モテ」根性はなんでなのかとちろちろ調べ始めたんである。
  
で、被害者たちである。
通り魔事件の犯人と被害者に人間関係なんてあるはずもない。彼らはなんの落ち度もなくたまたまそこに居合わせ、たまたま選ばれてしまった不運な人々だ。
  
まったく無縁に営まれていた彼らの人生が、秋葉原あの日のあの交差点で不幸にも一度、交差しただけだ。
   
だが犯人と被害者たち──とくに「彼女」の生い立ちを見渡すと、不可思議なほど対極だ。
  
まったく赤の他人でありながら、数奇な細くて長い長い糸でからみ合い、現代ニッポン社会の縮図のようなメガ曼荼羅を織りなしていたんである。
  
よし、じゃあ、いっそできる限り全員を全角度から時系列で追ってやれ、という無謀きわまる決意である。



  
事件から2年。
あの日以来、中止されていたホコ天は、2010年7月にも復活する。
  
ちなみに事件の公判は総勢40人以上の証人が出廷する巨大裁判となって、現在進行形だ。
  

この事件のもうひとつ特異なところ。
  
犯人はじつにこまごまこまこま心情をケータイ掲示板にカキコしていた。だから通常なら分かるはずもないスプリーキラーが一体何を考え、どう殺意をつのらせていったかが、それこそ分刻みで綴られている。
その膨大な掲示板はもちろん削除されたが、例によってコピペされ電子の海(以下略)。
  
カキコを読んで最初はなんて凡庸杉な男なんだ、と驚いた。あんな破壊力に満ちた大事件を起こしたわりにはしごく平凡、ちまちまして小スケール狂ってもいない働いていたし、ついでに言うと自宅警備員とやらでもない。じつはオタクですらない。
本人は「不細工」というコンプレックスを何度も何度も繰り返すが、顔を見れば本人が言うほど不細工でさえない、なんというか…平凡。普通に目立たない。普通に地味。普通に影が薄い。
  
そしてあのカキコのすねっぷりの奇妙な知性。もはや芸と言ってもいいほどの絶妙のネガティブシンキング表現。
  
なんなんだろうこのアンバランスな感じは。
  

この事件の犯人、容疑者、加害者、被告、

その名は加藤智大
ここではと呼ぶ。
  

は本州の最北の地、青森県で生まれた。
3歳下の弟が一人。

青森といえばやはりこれ
  
報道でもさんざ言われ尽くしたように、
生まれ故郷で異様きわまる少年時代を過ごす。
  

そして誕生から4年後、はるか西のある家庭で、一人の女の子が生まれた。
4歳上の姉が一人。
  
そこから2人の人生は、ある時点を境に、かたや常にポジティブに、かたや常にネガティブに、ひたすら対称的に綴られていく。
  
最初で最後の邂逅となる、あの一瞬まで。
  

【つづく】  #02 最涯ての『10秒ルール』
  

【事件激情】