【事件激情】ネバダたん─“史上最も可愛い殺人者”(3)佐世保小6同級生殺人事件

noriaky1112010-03-26

Chapter3 黒いアイドル


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*「あんな残虐なことをする子とは思えないんだ」


なんなんだ、これは。捜査に入った警察は戸惑った。
学習ルームは「子どもがやったとは思えない」ような惨たるありさまだった。
被害少女は首を何度も切りつけられて、深さ10cmにも達した傷からの大出血が死因。ちなみにこの年頃の女子の首の直径は12、3cmほどしかない。被害少女の体からは血がほとんど流れ出てしまっていた。

警察はカッターの折れた刃先を血の海の中から回収した。工作用カッターでここまでやるとは、よほど殺意と力を込めて切り裂いたことになる。

なのに──とベテランの県警捜査幹部。
「今までで一番謎の事件だ」。
加害少女は年の割に小柄で1、2歳年下に見える。話しぶりからもしてもこの子がなんであんな残虐な殺し方ができたのか…。

2日後に保護中(つまり拘留中)の加害少女と会った弁護士も、
「言葉づかいも非常に丁寧、コミュニケーションにまったく難はない」。
弁護士と向き合った少女は、
「なんでやったのかな。よく考えていたらこんなことにはならなかった。会って謝りたい
と頭をかかえて涙を流していた。
「無言のことが多い。泣きながらも大きな動揺も見せず、素直にこちらの話を聞いている」
「小学生なら落ち着かなく動き回ったりするだろうが、彼女は冷静でじっとしている」

残酷すぎる犯行。面会ではごく冷静で控えめな態度。
あまりにもギャップがありすぎる。一体なんでこうなったのか。

加害少女は動機についても一応話した。
ぶりっこ、とネット掲示板に書かれたから」

ぶりっこ?

そんなことぐらいで殺すのか? しかもあんな残忍に?
しかも、掲示板に書かれた他には、被害少女とのトラブルはなかった」とも。2人はほんの数日前まで仲良しだった。
オジサン捜査員たちは戸惑うばかり。動機の他愛なさと犯行の凶悪さがちぐはぐすぎる。

とにかく11歳では刑事にすらならない。加害少女の扱いはあたふたと家庭裁判所に移された。もちろん少年法は「少年を罰するのではなく、更正させる」ことが目的なので、警察が捜査するようにはいかない。

のち被害少女の父親も、家裁の審判記録を読んで途方に暮れた。
「あまりに幼い受け答え。想像と違った」


*ネットで盛り上がる“不謹慎な人気”


マスコミもまた、
この事件を吸いかねていた。少年法という壁もある。
加害少女が犯行後、15分も現場に留まり、被害少女が死にゆく様子を観察していたのを「猟奇犯罪」的に取り上げたり、魔法などオカルトに興味をもっていたことから「オカルトの儀式の再現か?」的と喧伝するメディアもあったが、それも長続きしなかった。
この事件には凶悪ぶりを裏付けるマスコミ好みの“物語”がなかった。

サイコパスな殺人鬼は、人を手にかける前に、まず猫やネズミのような小動物を殺し始めるという。酒鬼薔薇聖斗も、前年に起きた長崎幼児殺人の中1少年もそうで、「小動物殺し」が前兆として起きていた。またゆがんだ性欲が犯行と濃密に結びついていて、酒鬼薔薇聖斗は死体を切断しながら射精した。

だが佐世保の加害少女には、そんなサイコパス特性はない。
事件は何もないところからいきなり湧いたように見えた。

例によって、パソコンのせいだとか、暴力的なゲームや映画が原因だとか、学校教育が悪い、親が悪い、いやいじめがあった、とそれぞれが自分好みの「元凶」をあげつらった。加害少女を血も涙もないモンスター扱いする者もいた。


一方、ネット上の“その筋”は、お祭り状態になった。
ネバダたん」と名付け、アイドルに祭り上げた。美少女なのも余計にその“不謹慎な人気”に火をつけた。
ネバダたんを描いたイラストもあふれた。それもあどけない顔のまま血まみれのカッターを持つような。

3年後、ドイツではNevada tan」というニューメタルバンドまで結成された。なんというバカなドイツ人。(まずいと思ったのか、翌年、別の名前に変わっている)

周りがやいのやいの騒いでいる間も、肝心の渦の中心にいる「ネバダたん」は謎のままだった。

実際、なぜこの事件は起きてしまったんだろう。ネバダたんはサイコパスだったのか? そうでなければ何者だったのか。

彼女らが「友だち」だった頃に戻ると、少しだけそれが見えてくる。



*前年から学級崩壊していたクラス



ネバダとミタちゃんが仲良くなった頃、5年1組は崩壊し始めた。

「急にばらばらになった」と5年生当時の担任(女)は悔やんでいる。4年生までは別の男教師が担任で、クラスはまとまっていたらしい。それが壊れた。
親たちの言い分は「5年の担任のせいだ」。担任(女)は何かあると言葉で諭すでもなくヒステリックに泣きわめいて叩くばかりだったという。

じきに子どもたちは“泣き叩き”に慣れてしまったのか担任(女)を、怖がるどころかバカにするようになった。そうなるとあとは転がり落ちるがごとく。
授業中でも大声でおしゃべり、平気で菓子を食う、堂々と寝る。男子同士の殴り合いのケンカも頻繁におこった。もちろんいじめだってあった。転校してきた子は徹底的にやられてすぐ転校して行った。

もはや担任(女)が注意してもきかない。どころか叱ると逆ギレで蹴られて担任(女)は泣いて教室から逃げた。子どもたちは「今週はあいつ何回泣くかな」を賭けるようになった。

これ、まさに学級崩壊そのものだ。
(県教委は「問題のある児童が何人かいて苦慮していたが、学級崩壊まではなかった」とのちに発表。まあ大本営発表なかんじだが)

しかも1学年1クラスで6年間一度もクラス替えがなかったのもまずかった。毎年毎年ずっと同じ顔ぶれ。クラスの空気もヒエラルキーも変わるわけもない。

そんなすさんだ教室で、「ネバダたん」はといえば、マイペースで好きな絵を描いていた。クラスメイトにはお付き合い程度に合わせて深入りしない。ただ荒むクラスを傍観していた。


*スポーツ! チャット! 楽しい! 最新中!


さて、ミタちゃんが課外活動のミニバスケ部に入ると、ネバダも入部した。インドア派だったネバダは意外な素質を発揮してぐんぐんバスケがうまくなった。友だちとの部活動をとても楽しんでいたようだ。

さらにネバダは得意なパソコンを駆使して、ミタちゃんとサイトを開設した。カフェスタの簡易ページで、チャットでおしゃべりもできる仕組み。全国に20人くらいの「チャット仲間」がいて、好きなことを書き合って遊んだ。ネバダはここに自作の詩を載せたり、好きな詩人を紹介したりしている。

ネバダ宅には、父親の仕事用と家族共有の2台のパソコンがあった。ネバダは家族用パソコンで遊んでいた。両親は娘がパソコンで何をしているのかはまるで知らなかった。

ミタちゃんとネバダは、リアル・交換日記・チャット(のちに掲示板も)の3つのやり方でコミュニケーションをとっていた。

この頃が「ネバダたん」の一番充実していた時期だったかもしれない。絵を描いていれば幸せだった少女は、たぶん生まれて初めて「友だちと一緒」の楽しさを知った。ミタちゃんのおかげだった。


*「続けたかったのに、親にやめさせられた」


まもなくミタちゃんが家庭の事情でミニバスケを辞めた。寂しかったがネバダは部に残って頑張った。レギュラーまであと一歩までいった。チームも大会で優勝した。5年生3学期のネットの日記には、ちょっと誇らしげに優勝の報告がされている。

ところが、ネバダの幸せな季節はとつぜん断ち切られるように終わってしまう。
学校の成績が落ちたことに怒った両親が、「宿題できないならバスケなんてやるな」と、むりやりミニバスケ部を退部させてしまったのである。
「続けたかったのに、親にやめさせられた」ネバダは同級生にこぼしている。

この頃を境に、心優しかった少女は急激に変貌していく。


──学習ルームの惨劇まであと100日。 >>(4)


▽参考文献