その男、K。#10-事件当日【秋葉原通り魔事件】
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“トーキョーの電気街がブラッド・バスになった”
──イギリス・タイムズ紙(電子版)
いい人を演じるのには慣れてる
■K──
6月8日の早朝、加藤智大ことKはケータイの“究改”掲示板に最後のスレを立てた。
午前5時21分から実況のようにカキコを連投し始めた。
05:21 ねむい
05:34 頭痛が治らなかった
05:35 しかも、予報が雨 最悪
05:44 途中で捕まるのが
一番しょぼいパターンかな
無断欠勤して、遠征してナイフを買い、トラックを予約しただけなんだが、すでに警察にすべて見抜かれて、決行する前に捕まるんじゃないかとびくついていた。
06:00 俺が騙されてるんじゃない
俺が騙してるのか
06:02 いい人を演じるのには慣れてる
みんな簡単に騙される
06:03 大人には評判の良い子だった 大人には
06:03 友達は、できないよね
06:04 ほんの数人、こんな俺に長いこと
つきあってくれてた奴らがいる
06:05 全員一斉送信でメールをくれる
そのメンバーの中にまだ入っていることが、
少し嬉しかった
どちらにしても「奴ら」の友情ももう遠すぎて届かない。
6時半過ぎ、Kは、裾野駅近くのアパートを出ると、
予定より一本早い7時11分発の御殿場線に乗った。
沼津駅まで出て、ニッポンレンタカーで予約した2トントラックを借りるためだ。
▽続きを読む
【事件激情】その男、K。#09【秋葉原通り魔事件】
──前夜 ダガーと聖女──
<contents
6月8日の事件関係者リスト> そのほかの事件関係者リスト>
「いつも悪いのは俺 いつも悪いのは俺だけ」
──加藤智大 事件2日前の書込み
▽06.04
▽06.05 11:51
▽06.06
▽06.07
▼06.08 12:33
なぜ奴は秋葉原を目指したのか
Kの脳内はツナギ事件の6月5日朝から、なし崩しに「事件」モードに入った。
「事件」を考えたのはこれが初めてじゃない。
短大時代には寮生をエアガンで夜襲しようと計画したし、仙台の警備会社を辞めるときには事務所放火も企んだ。
ただ、迷彩服を着てとかくだらないことにこだわったあげく、いつもKらしく途中でやめた。
今回もそんなアバウトな計画のはずだった。
06/05 11:51 犯罪者予備軍って、
日本にはたくさん居る気がする
12:02 ちょっとしたきっかけで犯罪者になったり、
犯罪を思いとどまったり やっぱり人って大事だと思う
12:05 「誰でもよかった」 なんかわかる気がする
なのに、やっぱり無反応。がんばって匂わせたのに。誰も見てないのか? Kさらにイラつく。
自殺じゃダメだ。
荒らしも偽Kも、無視したネットの住人たちも、日本のどこに住んでいるか分からない。自殺じゃみんな気づきゃしない。
普通の事件くらいじゃちょろっと記事が載るだけ。
テレビで報道されるような大きな事件でないと。
その男、K。#08─動機編【秋葉原通り魔事件】
<#01 <#07
「被害者の方、遺族の方の苦痛は、
荒らしにあって存在を殺されたときに感じた、
我を忘れるような怒りが近いのではないか、と」
──加藤智大が被害者と遺族に送った手紙
登場人物参照リスト 6月8日当日の関係者> そのほかの事件関係者>
これからKこと加藤智大がなぜ事件を起こしたか、って話になっていくんだが、
7月27日から8月3日までの公判被告人質問での加藤智大のあの「本当の動機」の主張をどう扱うのか、はっきりしとかないといけない。
まずその前に、
ある情熱的な歯医者さんの引退
さて、2008年春、
一人の老人が長かった仕事のキャリアを終えたところ。
杉並区の元歯医者さんスギナミ@74歳は、今年3月いっぱいで医院を人に譲って完全引退。
これからは悠々自適。
腕がよくて評判の歯医者さんで、大学に戻って勉強し直したり、講師も引き受けたり、なんつーかじじい版マイキー。
同じく歯医者さんだった愛妻、医者になった息子、おじいさんを慕って旅行も一緒の孫たち。趣味はカメラと海外旅行。アクティブ74歳である。
「引退したらどうやって暇をつぶそうかな」
感慨深い元歯医者さんスギナミだった。
◇
大学生4人組の一人タカ@19歳は病院なう。
持病の肺の調子がひどくなって、また手術だ。
さいわい手術は成功。順調なら1か月以内で退院できそう。
みんなタカの無事を喜んだ。昭和頑固オヤジ系(父親になったのは平成だが)の父親も家族も、大学生4人組のカズ、ノリ、ヒロも。
ヤツは嘘つきなのか?
静岡・裾野市、関東自動車工業で働き中のKこと加藤智大。
珍しくやる気になって応募したトヨタ期間工に不合格。
ケータイサイト掲示板の自虐ワールドはヒートアップ。
「負け組は生まれながらにして負け組」「不細工には恋愛する権利がそんざいしません」「イケメソなら『大切にされてる』と思われるのでしょうし、不細工ならストーカー扱いです」
少なくとも1日200回くらいペースで。
K的には、
「自虐ネタ」の演出のつもり。
「不細工」は目を引くキーワードだから選んだ。
牧師キャラ風の「です・ます」調でリアル以上に不細工、彼女できない、友だちいない、を強調した。そのへんは自分としてはまだマシだと思ってるし、悟ってクールに受け止められると思っていた。
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【事件激情】その男、K。【加筆訂正の巻】
#01(加筆訂正ナシ) #02 #03 #04 #05
#06 #07
さて、7月27日、秋葉原通り魔事件の第16回公判。ようやく被告人質問である。
今まで魂の抜け殻状態でそこに置かれてるだけ、というかんじだった加藤智大がようやく発言した。
初公判で口にした唯一の言葉、「私にできるせめてもの償いは、どうして今回の事件を起こしてしまったのかを明らかにすること。詳しい内容は後日説明します」
その詳しい内容は懺悔か恨み節か責任転嫁か?
これまでは、加藤当人の発言が警察での切れぎれの供述しかなくて、周辺情報からまとめたりしたんだが、やはり本人の目線だとかなり違ってくるだろう。
その前に
両親の青森での出張尋問(来ねえでやんの)が読み上げられた。
なんとなく両親2人そろって言い訳というか自己憐憫かつ自分をかなり美化、そして「親のわしらも被害者」化してる生暖かい責任回避は予想どおりで、母親にいたってはいきなり「損害賠償は不可能です」とここで言わんでもいい金の話。
その一方、
なんだよK、親子断絶を気取ってながらけっこう資金援助とかしてもらってたんじゃん。どっちもどっちの親子である。
で、新しく明らかになったことも多くある。
◇度重なるジョブホッパーのキーワード「アピール」。
◇秋葉原の事件も「掲示板を荒らしたり無視したりする人たちに、そうされるのが嫌だったことを事件を起こすことで分からせたかった」と普通は理解されないであろう動機を証言。むちゃくちゃ遠回しかつ回りくどい。というかそれがなんでそれがアキバで大量殺人? 相手ぜったい気づかん。
27日公判の被告人質問は、借金をかかえ、自殺にも失敗した彼が青森の実家に戻ったあたりで終わってしまい、「続きは29日に」になったので、
動機に直接つながりそうな、
◆数人の女たちとの関わり、
◆青森からの出奔のワケ、
◆静岡での急速な孤独化はなぜ?
◆犯罪予告もどきのカキコが、冗談やネタから本気の殺意に変わったのはどの時点?
などは、次回の公判となった。
また、群馬県のスレ友上州ギャルとの関係が当初法曹側が予想してたよりもずっと濃い関係だった、というのも、弁護側証人ととして立った彼女の証言が詳しく報道されて分かってきた。
この菩薩性の高い上州ギャルの存在とKにとっての位置づけはとても気になる。
で、そのままK自身の裏付けを反映しないのも気持ち悪いので、
そのあたりも慌てて加筆訂正した「改」バージョンをアップ中である。
#01(加筆訂正ナシ) #02 #03 #04 #05
#06 #07
【追記】2010年8月1日
ここまでで7月30日第18回公判の被告人質問が終わった。
加藤智大と上州ギャル(群馬の女性)の関係と絶縁までの流れも両者の証言により判明して、#06を大幅に加筆訂正して反映してみた。やはり上州ギャルも生身の人だと分かって、ほっとするやらやや悲しいやら。
にしても加藤のセコさといい加減さが改めてあらわになった。
また、これまで言われてきた格差社会や非モテ、家族関係に動機を求める分析を否定して、
「ケータイの掲示板の荒らしやなりすましをやめさせるために事件を起こすふりをしているうちに引くに引けなくなった」
という回りくどい理由が唯一の動機だったと主張した加藤。
法廷もマスコミも野次馬的一般市民もこれには「はぁ?」だが、この実にくだらない動機は、遺族的にもかえってやるせないだけだ。最後まで周りに迷惑をまき散らかしていく男である。
検察としてはそれを嘘だと責め崩したいと思うが、おそらく加藤はそれで譲らないだろう。どのみち極刑であることは確実度が高いのだが、予定調和的に終わるはずの裁判が細部で変なことになってきた。
ひきつづき8月3日も検察官による被告人質問が始まるはずである。
【事件激情】その男、K。─秋葉原通り魔事件 #07
<#01 <#06
「事件前の秋葉原は、歩行者天国とか、
いろいろあったけど、楽しくてすてきな街でした」
──公判で証言した目撃者
エリートな人たち
2007年11月、
マイキーは総務省の外郭団体「財団法人 地域創造」のボランティアスタッフになって、地方に派遣される音楽家たちのアシスタントコーディネーターとして全国各地を飛び回った。
さらに11月12日から始まる「日銀・地下金庫展」にも参加する。
地下金庫展は、自ら油絵を描いたりするいとこおじさん@日銀副総裁の変わった発案によるもので、日銀と東京藝大の共催というこれまた対極的な変わったカップリングで、
日銀の地下金庫を開放、そこで演奏会や展覧会をやる、というやっぱり変わった趣向だった。マイキー自身も音響デザインの部で参加した。
エリートぞろいの一族の中でも、いとこおじさんは財務事務次官にして日銀副総裁という出世頭。日本の金融を取り仕切った大物だった。
このいとこおじさんが大物すぎて、事件後にマイキーは“勝ち組のプリンセス”に押し上げられてしまうのだが。
ところで、マイキーは忙しい中、恋愛面も充実させていた。
本場欧州留学も決まって将来を嘱望された先輩@音楽家の卵。
その先輩@彼氏と、音環科の期待の星マイキーとのカップリングは、まあやはりスーパーな人はスーパーな人と惹き合うのだな、である。
何事にも意欲的なマイキーは、アートマネジメント専門のポータルサイト「ネットTAM」の「キャリアバンク」メンバーズにも登録した。
このネットTAMを社会貢献として運営しているのは、
トヨタ自動車だった。
要塞都市の朝
Kはトヨタ自動車の子会社、関東自動車工業・東富士工場に送り込まれた。
東京で製造業派遣大手の日研総業で派遣登録して、自ら志望して送り込まれたんである。
あれ?デジャブ?と思う人もいるかもだ。日研総業といえば、埼玉でKがバックレてクビになった派遣会社ではないか。いかに違う営業所だったとはいえ、ブラックリストにも載らず、あっさり再登録できたことはのちのち大いに問題視された。日研総業は、Kの出身大学がどこかさえ把握してなかった。
静岡県裾野市。文字どおり富士山の裾野に東富士工場はある。
BGMは「スター・ウォーズ 帝国軍行進曲」
まさに山間に築かれた自動車帝国の要塞。
Kは例によって“社宅”という名の賃貸マンションの一室をあてがわれた。
朝5時30分、日研総業の手配したバスが市内の“社宅”を回って派遣社員を積み込む。
6時に工場に着く。6時半には始業。
Kの配属されたのは、塗装を肉眼で点検する工程。
10分のトイレ休憩と45分の食事以外は、ずっと8時間立ち詰め。何時間もじいーっと塗装面を見つめてわずかなムラとかホコリを探してると目がちかちかくらくらしてくる。
広大な工場内で、それぞれの持ち場は数十メートル離れてるし、休憩時間だってみんな疲れてるしで会話なんてまったくない。
それでもKは同じ派遣仲間何人かと仲良くなった。Kは物静かな「ポーカーフェイス」で感情を滅多に出さなかったけども、派遣仲間の後輩くんたちからしたら年下への面倒見がよくて頭もよくて(中学時代の名残り)頼れるアニキだった。
麻雀や飲み会でよく遊んだ。富士スピードウェイや平塚サーキットにも行ってカートで競争したりもした。Kはとてつもなく速かった。
「前は、GT-Rに乗ってたんだよね」
と得意そうだった。
↓GT-R
例によってカラオケに行くと、またまた誰も知らんアニソン熱唱。
「おれ、2Dしか興味ないから」
「生身の女の人は裏切るけど、アニメのキャラは裏切らないから」
Kはこの時点で、ロリコンオタクを演じようとしていた。「いっそ真性2Dオタクになれたら、彼女が欲しくなくなるかも」と思って。
でもKはやっぱり「非実在少女」ではなく、実在女の人が恋しい。
実際、ケータイの掲示板で、
04/09 05:28
私も「アニメやエロゲーがあれば幸せ」
という人種ならよかったのですけれど、
不幸なことに現実に興味があるのです
と洩らしたり。
「あの人、タイプなんだよね」と、つい同じ職場の年上女子(もちろん生身)ラブを口走ったり、
派遣仲間に「そろそろ3Dに落ち着かないとヤバイ。というわけで誰か紹介してくれ。背が小さくてアニメ声で、巫女さんの衣装が似合う子がいい」なんて頼んだり。
なんだか徹し切れないK。
真性オタク宣言しても後輩くんたちのKへのアニキ認定は変わらなかった。それだけ慕われていた。というのも大した話で、のちの「孤独」「一人」のカキコを連発する同じ人間とは思えない。
Kはたまーに、身の上話をちらちらした。最初は「親が借金を重ねるから、青森から飛んだ。ろくでもねえオヤジだ…」なんてことを言ってたが、
そのうち言うことが変わって、
「事故して廃車になった車のローンが残ってて。自動車会社とイザコザがあって納得できなかったし、家賃も滞納していたし、両方踏み倒してきた。いなくなるときは何も言わないで飛ぶから」←こっちがホントの話だろう。たぶん。
テレビでは、
経団連会長の御手洗冨士夫が、盟友のコンサルタント脱税逮捕、大分工場建設でのゼネコンからの裏金、またぞろ蒸し返される偽装請負問題が追求されまくりで、ムキー(憤)となっていた。
でもKたちはニュースでチラ見する偉い人の話が自分たちに関係あるとすら思っていない。(間もなく大ありになるのだが…)
今朝も、Kたちはバスで工場へと運ばれていく。
バスの行き先、工場の向こうにはトヨタの東富士研究所がある。
そこでは2002年から参戦していたF1や最先端技術やエンジン開発が行われていた。
ひょっとしたら自分がそこでバリバリ設計なんぞしつつエリートしてたりエンジニアしてたもしれない輝ける場所。
Kは何を思って毎朝毎朝それを見ていたんだろう。
アキバ・ザ・バビロン
2008年3月──、
Kは「アキバ好き」も演じた。オタクならアキバだし。
「案内してやろう」と後輩くんたちを連れて秋葉原へ。「月2回はアキバに行くんだ」
アキバの象徴メイドカフェにも入った。
お帰りなさいませご主人様
あれ、バグが。
「へえー」と感心するというか絶句する後輩くんに、Kは得意そうに言った。
「まあ、こんなもんですよ」
この頃のアキバ──、
もはや爛熟期というか、熟した果実のように腐る寸前の噎せ返るほど甘く濃厚な匂いをむんむん発していた。
「会いに行けるアイドル」として秋元康が売り出した大部屋型アイドルAKB48が、秋葉原ドンキホーテの専用ホールでほぼ日ライブをせっせと開いて、AKB商法なんて批判されつつ、こつこつファンを増やしていた。
こまかすぎてどれがなんだか
ていうかおまえら誰だよ
硬派でごりごりのPC専門店が店をたたむ一方で、メイドカフェやアニヲタゲーヲタ向けの店がどっと増え。ホコ天は、アマドルや地下ドルやアマバンやレイヤーの路上ライブにパフォーマンス、
それに群がるカメコ、ローアングラー、それをさらに見物に来る一般の野次馬、それ目当てのビラ配りのメイドたち、さらにそれを眺めにやって来る国内外の観光客。
アキバは東京随一、いや日本随一の観光名所と化していた。
人が集まるところ、邪気をも引き寄せる。
オタク狩り──中学生高校生のオタクくんたちが恐喝される事件が勃発。
メイド狩り──ビラ配りしてたメイドが胸モミされたりスカートに手を入れられたりの事件。
ハルヒダンス。本官さんが来るまでに踊り切れるか
警察の目を盗んでヲタ芸する「ハルヒダンス」「らきすたダンス」も続出。どんどん人数も増える。
お揃いのアニメTシャツできめてバイクでぶいぶい現われ、なぜかハルヒダンスを踊るヲタ系バイカー“アニヲタ珍走団”、
エアガン乱射を人ごみでやらかす女装コスプレ集団も現われ、警察とのイタチごっこが続いた。
きわめつけは、自称グラビアアイドル・22歳(自称)。
パンツもろ見え開脚ポーズしまくりパフォーマンスでカメコが殺到。テレビ局もやたら取り上げて、本人すっかりアイドル気分に。
警察がさんざ厳重注意しても何度もやってきて開脚してるので、4月、ついに東京都迷惑行為防止条例違反で逮捕。自称22歳じつは30歳でした、なんてオチつきだった。
アキバ──ものすごく楽しいことが起きててそこに居合わせてる、と誰もがうかれてる祝祭装置。多重分裂するカオス。
いつしか、
誰かが誰ともなしにつぶやくようになった。
この街はいきすぎてしまったような。
今に、きっと何かが起こるんじゃ?
スーパー就活生マイキー
マイキーは4年生になった。就活の年である。
彼女ならなんでも選べただろうが、大学院や留学でなく就職を選んだ。少しでも早く第一線で経験を積み、一般の人の声が聞こえる場所にいたかったんだろう。
就活でもマイキーはマイキーぶり発揮。
面接で将来の夢を聞かれると、
「音楽を身近な芸術として広める活動をしたいと思います」
と熱く語った。面接官も圧倒される勢いで。
応募時に提出したレポート──、
彼女が“音楽環境”に感じていた危機感というか、もどかしさが伝わってくる。
“なぜ日本人はもっと身近に『芸術』を楽しむことができないのだろうか”
“日本人が本来持って生まれているはずの『芸術』に親しむ心は、これから取り戻すことができるだろうか”
□
Kのカキコ──、
05/12 0:56
好きな音楽はとくにありません
マンガも特にみません 小説も読みません
テレビを見ていたりしても興味を持つものがないのです
私、病気ですか?
基地外ですか基地外なんですね
▽
▽2008.
▽ 05.12
▽
▼ 06.08
【つづく】> #08「ラストチャンス」
[参考文献]
閾ペディアことのは 秋葉原通り魔事件掲示板書き込み >
【事件激情】
- ネバダたん─“史上最も可愛い殺人者” 佐世保小6同級生殺人事件 >
- 狭山事件と「となりのトトロ」事件編 >/うわさ検証編 >
- 東電OL殺人事件 >
- 借りてきた「絶望」。殺戮ゴスロリカップルと毒殺女子高生 >
【事件激情】その男、K。─秋葉原通り魔事件 #06
トモと彼女のカレカノ未満物語
あの花火大会の翌日。
「おれだけど」
「ああ、うん。昨日はありがと。楽しかったです」
「うん、あ、うん。あのさ、親に家を追い出されてさ。アパートに引っ越した」
「へ? あ、あーそうなんだー」
「だから来るとか、どう?」
@津軽恋女が訪れると、
アパートの1DK。Kはきれい好きで部屋は整理整頓していた。
でも部屋は真っ暗。
「まだ電気通ってなくって、暗いけど」
呼ぶの早えよ
@ 津軽恋女は、それから何度かKのアパートへとやって来た。
といっても2人で黙ってテレビを見るくらいしかない。
Kはテレビにあまり反応しない。たまーにお笑いでクスッと笑うくらいだった。
Kは帰り際の@津軽恋女に、
「また来ていいから」
いつもそう言うのだった。
@津軽恋女もまー出会い系で出会うくらいだからなんか寂しくて不安定で、人間関係もこじれて悩んでいた。
@津軽恋女は愚痴とも相談ともつかない話をよく延々と話した。
Kは頑張って励ました。
「生きてればなんとかなる。何かあってもおれがいるからさ」
泣き言の塊のようなKには珍しく自分の悩みや不満を一切言わなかった。生身の女にはなんだかカッコつけるのである。
本当は、Kの両親が離婚寸前になっていた。
8月中頃、K母がついに家を出て別居。もともといびつな家庭だったし、Kが帰郷して家でとぐろまいてることも理由かもしれない。
K父は青森に異動して前よりは家にいるようになってたけれど、疎遠な父子で一つ屋根の下にいてどうするというのか。結局はKも実家を出た。追い出されたというよりKがいたくないのだった。
さて、
それとなくKが“おれは付き合ってもいいぞ”(なぜか上から目線)的な態度をとっても、@津軽恋女は毎度それとなくかわした。
Kからしたら自宅に来るくらいだからきっと、
と思ったろうが、@津軽恋女にとって、Kは“お兄さん”みたいな存在で、お兄さんみたいなんてあーた“大嫌い”よりも脈がないコースである。
このぬるーいかんじが続くだけ続けばいいなあたしの都合のいい間だけ、くらいの。
そこから踏み込んで…という可能性も決してゼロじゃないはずだが、あいにくKはそのあ・うんを知らない。
知り合って1か月くらい経ったとき、
Kは合鍵を差し出した。
Kなりの意を決してリスクをおかした攻勢だった。勝利を得るにはリスクを冒せfromオシム語録。
当然、@津軽恋女は困惑する。
「いつでも来ていいから」
とKは無理矢理合鍵を握らせた。
Kは帰り際の@津軽恋女に、
「また来ていいから」
いつもそう言うのだった。
Kの合鍵作戦はどうやら裏目。
@津軽恋女はアパートにだんだんと来なくなっていった。「引かれた」ってやつである。メールもいつの間にか減って、いつの間にかなくなっていた。
その後、@津軽恋女はアドレスを変えたけれど、それをKに知らせてくることはなかった。
@ 津軽恋女が再び“トモ”の顔を見たのは、
9か月後、
翌年6 月8日のテレビ画面だった。
諦めれば楽になれるのに
9月になった。
Kはケータイの掲示板に書き込んだ。HNは「黒子」。
俺に彼女ができない100の理由
09/09 15:19
あと19日で全部改善すれば、きっと間に合うと信じてる
09/09 15:50
>>2
魔法使いになるまで、あと19日
なぜKが急に彼女探しに血眼(彼なりに)になったか。
「25歳で童貞は魔法使い」という2ちゃんの“定説”にこだわってたからだ。だから25歳までにどうしても彼女をつくって童貞捨てたかったのだった。
でも「魔法使い」の期限は30 歳というのをカンちがいしてたらしい。
やけくそになったのかKは下半身情報まで開チンする。
09/08 17:40
>>18
自慢だが、童貞で短小で包茎(しかも真性)だぜ
09/08 17:48
>23
別にモテたいわけじゃないんだが
人生の伴侶が一人居れば、それで。
まあ、だから「重い」って敬遠されるんだよね、
とマジレスしてみるテスト。
09/09 16:44
諦めれば楽になれるのに
死にたくないんだよ!!
≪童貞の夢 手つないで歩いてみたい≫
09/09 17:56
手つないで歩いてみたいね(´・ω・`)
09/09 17:56
いい歳したオッサンがキモいんだよ
死ねや
Kが仕事をすぐ辞めて転々とすることについて、心理学者が理屈を展開してるんだが。幼年期の親の愛情のどうやらで、ひとつの場所で人生を積み重ねられないとか人間関係をどうのとか自分の本当にいる場所はここじゃないこしゅとう゛ぁとか。
まあ難しくてよく分からんのでそんな程度しか覚えてないが、こうしてみてると、はっきりしてるのは、
“失恋したら何もかも投げ捨てたくなる”
ってことである。
なにしろ彼女の有無が人生の絶対的評価基準。失恋するたび、自分がやってることが何もかも無意味に思えてくる、「こんな仕事!」「こんな町!」とちゃぶ台ひっくり返してリセットしてるパターンを漏れなく歩んでるような…。
そして今回もまた──、
2007年9月15 日、
K、給食トラック運転手を退職。
理由は「家庭の事情」。
帰ってきた・おれ仕事やめました。
□
ところで、
Kよりひと足先に、もう一人の男もとつぜん仕事を放り出していた。
この瞬間から福田→麻生→鳩山→菅→ひょっとして?と、ローマ帝国6皇帝時代軍人皇帝14人時代みたいな日替わり総理時代が始まるわけだが、
Kが仕事を投げたのは安倍に遅れて3 日後のことだった。
上州女に空っ風
Kは青森市のハローワークや若者向けのジョブカフェに通って就職相談をした。ジョブカフェには5回も行った。
「車関係の仕事につきたい」
と握りしめていたのは、自動車メーカーの求人票。なかなかうまい具合には見つからない。
青森は全国でも1、2位を争う平均賃金の低い県で、万年不況だった。
が、
Kは魔法使い化回避だけはもくろみ続けたらしい。
@ 津軽恋女との仲があえなく自然消滅に終わった頃、例の、群馬の上州ギャルに「会いたい」と持ちかけてる。なかなかゲンキンなK。
さいわい?仕事は辞めたから自由に群馬県へも遠征できた。
群馬の上州ギャルは、Kがうじうじダークサイドのおれをダダ漏れさせてたにもかかわらず、見捨てることなく接してくれた頼れる女性だった。
「会いたい」希望に「いいよ」とあっさり応じてくれて、Kは初めてリアルの彼女に会いに行った。
初対面の上州ギャルはKの“不細工な顔”にも嫌悪感は示さなかったし、掲示板でと変わらず接してくれた。
ふつうそんなもんだ。Kのばやい、顔写メで縁切りされた原体験が悪すぎたし引っ張られすぎた。
Kと上州ギャルは、ものすごくふつうに遊んだ。
ゲーセンで遊んだり、一緒にプリクラを撮ったり、カラオケに行ったり(もちろんKはアニソン熱唱)。
でも酒が入ると、Kは本領発揮、「おれがすべて悪いんだ、ごめんなさい」と上州ギャルの前でぐずぐず泣いた。
掲示板の悩み相談で気を許してたのか、
「独りが嫌なんだ」「おれはキモヲタ」「不細工だから」
と後ろ向き発言ばかりで、
「なんでそこまでネガティブになれるかね」と上州ギャルを呆れさせた。
上州ギャルに「掲示板で知り合った兵庫県の子が好きだったけど、ダメだった」なんて哀れっぽく恋愛相談までした。
この兵庫の子っつうのは@津軽恋女のことを地名だけウソついて語ってたのか、また別口にちょっかい出してたのかは定かじゃない。Kはよくヘンにこまごましたところで見栄を張る。
Kは、上州ギャルのいる群馬に、9月から10月にかけて3 回遠征している。
上州女たちが「天狗みこし」を担ぐ凄い祭り
上州ギャルは、少なくともKの社交的とは言いがたい気質も分かった上で受け入れてくれていた。寛大というかなんというか、彼女はKとのデートを普通に「楽しい」と感じていたし、必ず土産を持って来るKを「気づかいのできる繊細な男」と受け取っていた。
Kも遠く群馬まで会いに行ってるところからして上州ギャルを頼りにしてたんだろう。
“男/女友だち”の域からはちーとも出られなかったが。どうも2人の間には初めから「男と女」じゃない空間が出来上がってしまってたんじゃないだろか。
Kにとって、たぶん上州ギャルは「おかあさん」になってしまった。自分を理解してくれた上で全面的に受け入れてくれるおかあさん。10秒ルールで叩いたり床でモノを食べさせないおかあさん。リアルで決して会えなかった優しいおかあさん。
Kは居酒屋のおっさんに「群馬に行きます」とあいさつしに行った。
たぶん上州ギャルのいる群馬方面で仕事を探そうとしていたのかもしれない。
「おう、そっか、がんばれよ」
居酒屋のおっさんと飲み仲間は壮行会みたいな飲み会(つまりいつもと同じ)で送り出してくれた。
でも上州ギャルはやっぱり他人。いくら受け止め力があっても優しくても、おかあさんとイコールじゃないのだ。
と、なんだかかゆい話が続いてこれが【事件激情】なことをあやうく忘れちまいそうだが、そうなんである。加藤智大と、ほかの通り魔殺人犯たちの何が違うって、
いちばん違うのは、このかゆさ、
驚くほど凡庸、
驚くほど普通、
そのへんにいるワ士らとあまり違いがない、平凡にダメなやつ。
総中流意識が崩壊して世間の殺伐臭は濃くなったとはいえ、
いくらなんでも、グンパンもろ出し逮捕された川俣軍司みたいにシャブやりすぎで1日1回ペースで仕事をクビになり続けてエロ電波まで感じて電波系のパイオニアになるなんてなかなかないし、
造田博みたいに親が借金のこして千円一枚置いて蒸発したり渡米して教会の寺男したり元同級生をストーカーしたりなんて人生波瀾万丈な墜落はなかなか経験できない。
造田の3週間後に事件を起こした上部康明のような、九州大卒>精神病院通いしつつ転々転職>一級建築士合格>建築事務所経営>経営難>廃業>運送業開業>台風で軽トラ水没>ムキーッ(ノ`A´)ノ⌒┫、つう激しい人生上下動も滅多にないだろう。
宅間守は母親に胎児時代から「あかんねん、これ堕ろしたいねん、絶対あかん」と言わしめ、3歳にして車道の真ん中を三輪車でわざとゆっくり走る嫌がらせを知っていた。暴力や強姦で10 回以上も逮捕され、なのに5回も結婚したモテ系、というウソみたいな凶悪人生も無理だろう。
造田博@池袋通り魔事件> 上部康明@下関通り魔事件>
川俣軍司@深川通り魔事件> 宅間守@付属池田小事件>
なんだかんだいって、彼らは犯行のずっと前から別世界の住人だ。
でも、加藤智大なら?
加藤程度の平凡でしみったれてチャチな墜落なら掃いて捨てるほどある。
珍しくもなく。ありきたり。
同じ、普通におれらと。
だからこそ、近い世代、似た境遇の人々が心を抉られた。
「何か世の中の役に立ちたい」
マイキー@大学3年生。相変わらず1人で10人分くらいの濃厚な人生を送っていた。
学業は当然ながら熱心。そして優秀。
音楽学部では学内でのコンサートもさかんだが、マイキーはパソコンでプログラムやチラシなど販促ツールをデザインし、あちこち駆け回っててきぱきと運営の役割をこなした。
秋にはマイキーの地元、東京都北区のホールで、毎年恒例の「ONフェス」が開催された。
ONフェスは30年近く続いてるアマバンドコンテストで、ヤマハやソニーのプロデューサーが審査員をやったり、参加バンドのハイレベル度で有名。ここで注目されてメジャーデビューしたバンドもいたりする。
なによりNPO主催で運営から進行から何からすべてボランティアでやってるってのもONフェスの誇るべきところで、音楽ならクラシックもロックも歌謡曲も大好きな地元っ子マイキーも、当然ながらスタッフとして参加して例のバイタリティとハイスキルで駆け回った。
で、いつの間にか、
「マイキー、司会もやってよ」
と、当日の司会進行まで任されてしまったりもする。
マイキー自身はトチらないように必死だったが、そこはほれマイキーだから。初めてと思えないほどうまく気の利いた司会をやってのけた。プロの審査員も「あの子、進行上手いね」と感心したほどの神進行だった。
打上げでマイキーは「緊張しましたよー」とただただ照れた。
純粋に音楽のため、と思ってやることが、すべて貴重な財産になっていく。まあそういう人も世にはいるものだ。
マイキーはよく友だちに言った。
「音楽と関わっていたいんだ。ずっと」
□
この頃、
Kのケータイ掲示板へのカキコ──。
何か世の中の役に立ちたい
18:49
ホストクラブで自爆テロとか
19:10
秋葉原の歩行者天国の方がいいかしら
□
10月も終わり頃、群馬遠征3 回目。
上州ギャルは、やって来たKの様子が今までと違うのに気づいた。なんだか追い詰められたような。何があったの?
「死ぬつもりでここに来た」
げ。まじ?
そりゃ上州ギャルもびっくりだ。
「やめなよ、なんとかなるって」となんとかなだめた。わけを訊いても言おうとしない。
別れ際も、「またね。メールして。メールするし。電話でもいいからさ」と励ましながら見送った。
上州ギャルがKと会話したのはそれが最後だった。
Kはいっこうに連絡してこない。電話をかけてもつながらなかった。
「大丈夫かな、あいつ…」上州ギャルは不安にかられた。あたし、何か怒らせるようなこと言ったっけ? 言ってないと思うけど。何なんだろう。
あの全身ネガティブキャンペーンみたいな男、なんか憎めないのだ。何か悩みを抱えてるなら、なんとかしてあげたかったが、気づけば電話やメール以外にあの男と接触する手段がないのだった。
32か月後──、
2010 年6月30日、
加藤智大の弁護側の証人として、意外な人物が出廷した。
「現実味がわきません。そんなことができる人とは思いません」
上州ギャルだった。
大量殺人犯の情状酌量の証言なんて普通みんなやりたがらないだろうに。実の母親K母ですら“心身不安定”を理由に青森から一歩たりとも動かなかった。
なのに、上州ギャルは断らず証言を引き受けたんである。
なぜ?と聞かれて、上州ギャルは答えた。
「やっぱり…ほっとけないから」
事件を知った青森の居酒屋のおっさんと飲み仲間たちは、「なぜおれたちに言ってくれなかった」と怒り、悲しみ、悔しがった。
「今日は彼に会うために来ました」
幼なじみもまた、弁護側証人として証言した。
「こんなに悩んでいたとは知らなかった。頼れる人がいないと書かれていて、切なくなりました」
と証言した。
「今でも彼を友だちと思っています」
独りぼっちだと絶望し続けたK、
でも、心から気にかけてくれる人たちがちゃんといたじゃないか。
なのにKはまたもやリセットしてしまった。自ら“こちら側”にとどまるチャンスを投げ捨てた。
居酒屋のおっさんたちにも、上州ギャルにも二度と救いを求めることもなく。
2007年11月、富士山麓、“最後の転職先”に姿を現したKの内側では、
何かが壊れていた。
▽
▽
▽2007.10.xx
▽
▼2008.06.08
【つづく】 > #07 「アキバ・ザ・バビロン」
[参考文献]
閾ペディアことのは 秋葉原通り魔事件掲示板書き込み >
【事件激情】
- ネバダたん─“史上最も可愛い殺人者” 佐世保小6同級生殺人事件 >
- 狭山事件と「となりのトトロ」事件編 >/うわさ検証編 >
- 東電OL殺人事件 >
- 借りてきた「絶望」。殺戮ゴスロリカップルと毒殺女子高生 >
【事件激情】その男、K。─秋葉原通り魔事件 #05
<#01 <#04
「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」
──犯行3日前 ケータイ掲示板への書込み
派遣王、参上
2006年も終わりに近づき、師匠も走りますぜなんていう頃、
世間はまた揺れていた。
大企業は「史上最高益」「好景気」なんてほくほく顔だが、世の中さっぱりそんな実感がなく。なんか給料は減ってるし──。
奥田碩から経団連会長の座を引継いだのは、キヤノンなぜャが大文字の御手洗冨士夫だ。
これまで経団連の会長には“日本を代表する”重厚長大産業から選ばれる慣例で、
キヤノンのような軽工業からというのは珍しかったんだが、そのとき儲かってた企業がトヨタとキヤノンくらいだったから、まあそういうことになった。
御手洗冨士夫は創業者一族系の経営者だ。
中央大学に通いつつ法曹界を目指したが司法試験に不合格。
叔父さんが創業者として君臨するキヤノンに拾われて入社。
すでに跡取り息子の従兄弟がいて、MIT卒にしてスタンフォード大卒の超ビフテキ優秀大賞な御曹司だった。
対して冨士夫はなんだか肩幅が狭いし文系でつぶしもきかなかったしでアメリカに20年も行かされたりしていた。
が、社長就任たった2年で従兄弟が急死。
急きょキヤノン社長の座が転がり込んでくる。
御手洗はその悪代官顔から想像するとーりの、傲岸かつ冷酷な経営者だった。
海外赴任でかじってきた南蛮渡来のキャッシュフローや成果主義(自分が思いっきり縁故なのはここだけの内緒だ)をいち早く取り入れ、
社員の福利厚生も諸手当も「無駄だ」とどしどし廃止して、選択と集中とうたってどしどし新規事業を切りまくった。
文系の御手洗には技術のことなんてよく知らないし、とくに愛着もないしで、ためらいもなかった。そして技術畑で有能だった故叔父や故従兄弟へのまーほれいろいろとあるんだなそのへんはなあ。
キヤノン電子の名物廊下、時は金なり。社員用のイスもないなり
キヤノンは製造業派遣解禁の恩恵にも最速最大に浴した。
大分では雇用増を願う県に57億円補助金を出させたうえにフタを開けば雇ったのは非正規ばかりで(そしてとっとと派遣切りした)、
青森の弘前工場では7割が非正規といういびつっぷりだった。
社員の待遇を削りに削る一方で、“グローバル時代にふさわしく”自分たち役員の報酬を2倍の2億円超えに大増額したり、豪華保養施設をつくったり。
働く側はあえいだが、大儲けで御手洗は鼻高々だった。
前任の奥田は政治献金と大企業の影響力をうまく駆使して小泉内閣を牛耳った。
御手洗もそれにならって政治介入を狙った。小泉の次の首相・安倍晋三に超接近。
安倍晋三は祖父が岸信介、大叔父が佐藤栄作、父親が安倍プリンス晋太郎、妻昭恵も森永製菓創業者一族で元電通と、そろい踏みのきらきら御曹司で。選挙区は自民の牙城長州藩。サラブレッドといえば晋三だよなというくらいだったが、対北朝鮮コワモテポーズのみで首相にまでなっちゃったため若すぎていまいち貫禄も基盤も弱かった。
だから喜んで越後屋のいや御手洗のスリ寄りを受けた。
安倍のインド行きにも経営者衆をわさわさ引き連れて同行するべったりぶりだった。
製造業派遣の解禁に気をよくした経団連は、その後も、消費税増税&法人税減税、派遣の期間規制撤廃、移民規制の緩和、外国人株保有制限の撤廃(御手洗とくに希望)、偽装請負の合法化(御手洗とくに希望)、武器禁輸の緩和など、強欲資本主義な政策を続々と要求していくことになるが、
中でも注目されたのが、
労働規制適用免除法案こと、
ホワイトカラーエグゼンプション。
でもいまや別のもっと端的な名前でしかみんな覚えていないだろう。
残業代ゼロ法案である。
経団連が、“残業代ナシ”の対象となる「相当程度高い年収」を「400万円」と要望してたことからしても、
何を目論んでいたかがどんなお人好しでも分かるほど言うまでもない。
さらにアメリカ政府も「グローバル化のためにも一刻も早くこれを導入しろ」と日本政府にせっついていた。なんでホワイトハウスがそんなことせっつくかというと日本経済に投資中のファンドにせっつかれてるからだった。
が、
すでに世間の目は、小泉─奥田ラインが栄華を誇った時代とは変わっていた。
“構造改革”なるウソ八百に騙されコケにされていたことに有権者が気づきつつあって、
そこに絶妙のタイミングで現われた残業代ゼロ法案は、あまりにもその意図が分かりやすすぎた。
ホワイトカラーエいや残業代ゼロ法案は、空気を読むのに敏なマスメディアから「過労死促進法案」とも猛バッシングされ、打たれ弱い安倍内閣はたちまち腰くだけになった。
実は反対派の工作員かってくらい逆効果発言が多いおばさん
2007年の初めには、経団連にせっつかれた政府は「家族だんらん法」と言い換えをはかったり、対象を「年収900万円以上」「企画とか5職種だけ」にしてみたり、いろいろこねくり回したものの、今さら反発が止むわけもなし、あっさり立ち消えに。御手洗の策謀は潰えた。
さて、
のちに御手洗は、
キヤノングループの偽装請負が問題化したときも、
「法律が悪い、法律を変えろ」
と逆ギレしたり、
派遣切りを盛大にやって、
「派遣切りは派遣会社のやったことで、キヤノンに一切責任はない」
という名言を放ったりするが、
御手洗に限らず、日本の経済人に共通の思考が定着していった。
「いざとなりゃ派遣を切りゃいい平気平気(* ̄∀ ̄)」
もちろん奥田のトヨタ、そしてその系列各社でも。
安易に若い世代へとひずみをしわ寄せして既得権を貪れるだけ貪り、若者を「やる気がない」「甘え」「自己責任」と逆に嘲笑い責め立てさらに追い詰める風潮が強まって──。
さて、そんな騒動を知ってたかどうか知らないが、
帰ってきた・おれ仕事やめました
「地元にいたくなかった」から青森を出たのに、愛車のローンやらで借金がかさんだのか、また実家暮らしになったわけだ。
茨城の仕事をバックれたあと、一念発起したのか自動車学校に通い、大型自動者免許を手に入れていた。瞬発力はあるんである。
そして青森では学校給食の牛乳配送ドライバーに。2トントラックを転がす毎日である。もともと運転は嫌いじゃないから嫌いじゃない仕事だった。
勤務態度は真面目。無遅刻無欠勤。まあ例によって。
最初はバイトだったけれども、4月には正社員に昇格する。まあ例によって。
さて、実家はKが出た頃とは少しばかり状況が変わっていた。
K弟がいないではないか。
K弟はKが青森から出るのと同じ年に弘前高校に合格したものの、やっぱり兄とほぼ似た堕落コースをたどった。
夏には早くも不登校、たった3か月で中退。とりあえず卒業できた兄よりもさらにヘタレだった。
中退と引き換えにK母の強い望みで青森高校編入試験を受けるがもちろん合格できるわけもない。
その後、5年間ひきこもって、
Kが帰郷する前に、実家を出て上京していた。
さすがにK母は悟ったのか、K弟に、
「おまえたちがこうなってしまったのは、自分のせいだ」
と謝った。K弟はK母とひとまず和解した。
だがK母は、長男のKと歩み寄ることなく。ただ避け合った。
Kも家では口もきかず自室にこもって過ごした。
Kはあんな高校生活でも、卒業後も連絡を取り合う友だちもいた。とくに親しいのは小学校からの同級生で高校まで一緒の幼なじみだった。
幼なじみはもちろんKより上等な社会人生活をしていたが、友情は健在で励ましのメールを送り続けた。Kが青森に戻ってきてからはまた会うようにもなった。
この頃、自慢の愛車がスポーツカーから軽に変わっている。
▽
友だちには「死のうと思って高速道路に突っ込んでつぶした」と言っているが、たぶんそれはかっこつけの嘘で、ローンが払えなくなって手放したんだろう。
Kのケータイ掲示板への傾倒はますます激しく、生活の欠かせない一部になっていた。
掲示板で知り合った相手をマブダチ認定し、青森から相手の住む福岡まで車で会いに行ったりしている。
そうして掲示板経由で知り合った一人に、群馬県に住んでる上州ギャルがいた。
上州ギャルのカキコしてた掲示板に、Kがカキコしてからやりとりするようになった。
「寂しい」とか「不細工」とかまたもやネガティブなことばかり書いて不幸アピールするKに、
上州ギャルは「かまってチャンか」と思いながらも、まあ基本いい人なんだろう、悩み相談に乗ったり乗られたりしていた。
なんだかんだいって、Kという男は、まったくの孤独でも女っ気ゼロなわけでもなく、それなりに出逢いがあるんである。
わりと聞き上手(無口ともいうが)だし、不器用ながらけっこう毎度つかみはオッケーだったりするんだが…。
んだが…。
善良なる人々
タペストリーは綴られ、織り上げられ──、
同じ年4月、関東に住む2人の少年が大学生になった。
□
カズ──
カズ@18歳は、小学校から柔道教室、高校も柔道部。頼りがいがあって優しくて友情に厚いやつ、と周りの誰もが思っていた。
全寮制の高校を卒業して、東京情報大に入学した。埼玉の実家に戻って、2時間半かけて千葉にあるキャンパスに通学した。
カズは戸籍上だけ母方のじいさんの養子になっていた。
じいさんは公認会計士だが娘しかいないため、男子として跡を継がせたかったからだ。
なんだか武士みたいだが、カズもまたちゃんと自覚してて、常日頃周りに「学校卒業したら跡を継ぐんだ」と、東京電機大を進学先に選んだのも情報処理の技術を学ぶつもりだった。友だちによく言っていた。
「今に日本を背負って立つ人になりたい」
じいさんも孫の人柄を愛し、跡取りとして期待をかけていた。
カズには大学でよくつるんだツレが2人いた。その縁で別大学のタカと知り合ってすぐ意気投合。よく大学生4人組で遊ぶようになった。
□
タカ──
タカ@18歳の少年時代は試練の連続だった。
生まれたときから肺に持病を抱えて、誕生直後に死にかけたほどで、薬で肺を膨らませてようやく助かった。
タカはPCやゲームが好きで、高校も理系コース。課外活動はコンピューター部。一方、ハンドボール部でも運動系活動。
肺の持病に悩まされつつ、それでも真面目に通学して、3年間で欠席は2日だけだった。
ところが大学の受験直前にまたまたピンチが襲う。肺の調子を崩し、手術しなければならなくなったんである。
それでも手術は無事成功、そのすぐあとの受験もさいわいうまくいって、晴れて東京情報大学に通うことになった。
タカの父親、今どき珍しい昭和の一徹親父という風情。父親からすれば、今どきの若者然として、なんだか頼りないと思うし、腹が立つこともある。なんだそのだらしない服は、なんでズボンを腰で履くんだ、と思うときもあった。
しかし生まれたときにあやうく死にかけてやっと拾った命だ。
少々出来がどうでも生きてくれればいい。
生きていればそれで。
□
シェフ──
この年4月から、シェフ@32歳は日清医療食品の嘱託職員として、厚木市のリハビリ病院に勤務することになった。患者の食事をつくる仕事だ。
シェフはずっと料理人を目指していた。それも食を極めた料理人として。
調理学校に通って勉強。さらに高校専修学校にも通って、食物や料理をさらに深掘りして卒業、高卒資格を取る。
さらにさらに栄養士の資格を取るため、栄養専門学校にも通って卒業。とにかく料理のことにどん欲な勉強家だった。そのかいあって決まった新しい職場は、料理や栄養の専門知識も活かせてやりがいがある。
もう一つ、シェフが好きなのがパソコン。
自分でプログラムを組むくらい詳しくてマニアだった。
だから休みの日にはよく、秋葉原へと出かけた。
津軽恋女
青森──、ねぶた祭りがもうすぐって頃。
世間は、コムスン─グッドウィル騒動でかしましかった。
こんな感じの特殊な髪型のジュリアナ東京仕掛人が介護を食い物にした日雇い派遣を食い物にしたデータ費100円ってなんだとバッシングされていた。ちなみにこの特殊な髪型の人は経団連理事だった。
郷里に戻って給食運搬ドライバーとして地道に働くKにも、ちょこちょこ仲間が出来ていた。
とくに気にかけてくれたのが、20歳くらい年上の居酒屋店主。
BSEこと狂牛病で店がやばいので、昼はKのいる会社で配送のバイトをして、夜は居酒屋をやってハードな毎日のタフネスなおっさんだった。
おっさんは内気っぽいKを弟分認定したらしく、店での飲み会に誘った。集まるのはいわゆる“負け組”ぞろい。
似たような境遇の仲間に気を許したのか、Kはやっぱり不幸アピールを始めた。
おっさんに「おまえ甘いぞ、みんな苦労してるんだ」と説教されて号泣した夜もあった。
なんか青春していた。
さてそんなことも影響したんだろうか、
Kはまた彼女ゲットに意欲燃やすようになる。Kなりに。
群馬の上州ギャルではない。別の女である。なかなか隅に置けないんである。
その彼女とはケータイの出会い系サイトで知り合った。
さいわいサクラのネカマではなかった。メールでやりとり。Kは頑張って絵文字をたくさん入れてせっせと送った。そのへん妙にマメだった。
彼女は3つ年下の22歳、
やがて彼女も青森に住んでると分かって、Kは「会いたい」希望。
@津軽恋女とオフで顔合わせすることになる。
Kは初対面だというのに、よれよれのチノパンとシャツ、髪はくせ毛はかまわないままで女から見るとやる気あんのかだが本人は心ひそかにメラメラしていた。それを悟られまいと無表情になってて余計ヘンだった。
「カトウ…トモヒロ…さん?」
大をヒロと読んだ@津軽恋女に、Kは大喜び。
「珍しいな、1回で読めた人は!」コノ子ハオレヲ好キニ違イナイ
「じゃ、トモって呼んでいいですか?」
「………」あまりのことに思考停止
「え、あの」馴れ馴れしすぎたかな?
「あ、いいから、なんて呼んでも、うん、いいよ」
Kは愛車の軽に@津軽恋女を乗せた。いちおうUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみをさりげに並べて、と。よしカンペキ、女の子はディズニーとか好きだしな。
CDもラジオもかけず、かといってKもしゃべんないから車内は無音である。
しーん。
「……あの…この車、ずっと乗ってるんですか?」
「ん、前はスポーツカーだったけど、事故起こした」
「あ、そうなんだー」
「今度、GT-R」
「は、はい?」わ、びっくりした
「買いたい、GT-R、今度」
「ああ、うん」
「と思って」
「そうかあ、うん」
「…うん…」
しーーーーーん。
さいわい2人にはゲーム好き、という共有分野があった。
2人がデートすると、大抵はゲーセンでUFOキャッチャー。カラオケも行った。Kはニッチ杉るアニソン入れて熱唱した。
8月1日、
浅虫温泉の夏の名物、花火大会が今年も開かれた。
花火を見にやって来た見物客たちの中に、“トモ”と@津軽恋女の姿があった。
花火をケータイの動画で撮ったり、屋台でいろいろ買って食べたり。「トモ」って呼ばれて「ん?」って振り向いたり。ものすごくまっとうなデート状態。
今夜のKは、ちょっとだけ、輝いていた。
□
その8日後──、
海の向こうでずっと軋みつつも正常をとり繕っていたトランプの城がついに瘴気を撒き散らしながら崩れていった。
サブプライムローン問題。
全世界的な市場暴落の連鎖が始まった。
当初、影響小と思われた日本もまたその荒波に呑み込まれていく。
経済も、企業も、そこらの人々も、
そしてKも。
▽
▽2007.08.01
▽
▽
▼2008.06.08
【つづく】> #06 「何か世の中の役に立ちたい」
【事件激情】
- ネバダたん─“史上最も可愛い殺人者” 佐世保小6同級生殺人事件 >
- 狭山事件と「となりのトトロ」事件編 >/うわさ検証編 >
- 東電OL殺人事件 >
- 借りてきた「絶望」。殺戮ゴスロリカップルと毒殺女子高生 >