【事件激情】借りてきた「絶望」。──《貳》
2003年つまり平成15年、11月1日未明、河内長野市の国道沿いの一画にある住宅地──。
おーワ士の誕生日ではないか。まったく関係ないが。
午前2時15分──。
119番の通報が入った。
電話があったのは、会社員@46歳の自宅。
「息子がいきなり切りつけてきた」
救急車が国道近くの民家に駆けつけると、そこには凄惨きわまる光景が広がっていた──。
▼ミスドで家族全滅計画
ゴスロリカップルも、毒殺女子高生も、住んでいる所は郊外。それも都市圏ぎりぎりのもうちょっとで山、という限界郊外。
ゴスロリ彼女@16歳こと「桃寿(ももじゅ)」。
南河内郡の山裾を切り開いた整然清潔な山城型新興住宅地に住む。“下界”の農村的コミュニティとはつながりなし。両親とも教師、妹、祖母。
ゴスロリ彼氏@18歳。
河内長野市の国道沿い。周りは古めな民家や倉庫や工場ばかりなのに、なぜかそこだけ瀟洒なロッジ風のガーデニングなんかもしちゃってる実家に住む。
両親@46歳&43歳は共働き、中3の弟@14歳。
彼氏は最寄りの近鉄長野線の河内長野駅(郊外の駅前の例に漏れず微妙にさびれている)から田園地帯を走る電車に揺られて、芸術系の大学に通っていた。
高校生の桃寿はバスで25分かかって富田林駅まで出て、さらに電車で45分かけて大阪市内の進学校に通学していた。
この富田林駅が2人の中間点で、駅やミスドやバス停で2人が「おでこをくっつけて、いちゃついてる」のを中学の同窓生たちが何度も目撃している。
いちゃついてただけでなく、そのとき2人は「ハロウィン前後に決行」すべく、家族全滅計画を話し合っていたんだが。
▼田んぼの中の毒殺魔の家
駿河湾沿岸都市圏の南の外れ、やはり辺境限界だ。南へ少し行っただけで伊豆半島の山また山。
伊豆の国市は3つの町が合併して生まれた。誕生から半年も経たないうちに、この奇妙な名前の市は、「毒殺女子高生」なる不本意すぎる形で名を轟かせてしまうのだが。
タリウムたんの家のあったのはこれまたよく見かける光景。田んぼを売ったり息子の代で農家をやめたりして戸建てが虫食い的に増えていき、気づいたらなんとなーく住宅メインになってました的な地域。
彼女はここから市内の進学校に通っていた。
この3つで日本の郊外の大半が当てはまるんじゃなかろうか。
ワ士は何百回とこれと似たようなのっぺりした風景を見たぞ。
思春期に多かれ少なかれ抱える「自分は他とは違う症候群」がとくに強い子たちにはどうだろう。郊外はハンパに都会に近く、でも都会じゃない。こりゃー嫌な感じだ。
「桃寿」と「彼氏」は、ふだんからゴスロリファッションで行動していた。
黒ぐろとして、フリルとレースふんだんな衣装は、コンサバな住宅地および昭和的な村落ではかなーり浮いていたに違いない。
『下妻物語』でロリータ衣装の深田恭子が牛歩く田園に立ち尽くしていたように。
▽椎名林檎のパクリなのはここだけの秘密よ
桃寿。ももじゅ。
もちろん本名じゃなくて、Webサイトでのハンドルネーム。
ゴスロリカップル事件の実行犯は、女の桃寿じゃないんだが、手を下した彼氏はなぜかスルーされて「桃寿事件」とさえ呼ばれている。
桃寿は優等生だった。両親とも教師。中学では成績トップで生徒会役員だった。大阪市内の進学校に進み、ここでもトップクラス。
桃寿はゴスロリだった。V系バンギャでアングラ文系少女で、自殺未遂あり、リストカッターだった。尊敬する人は「元祖猟奇殺人鬼エド・ゲイン」。
日記や二次小説や病的なセルフ撮り写真を載せ、「狂気の唄」と称して、詩というか散文というかをアップしていた。
詩のタイトルは、
「バラバラ」「遺書を書こう」「Yeah!めっちゃ内臓」「手首切断症候群」「無理心中」「依存症」「軟禁処置」「腹切兎。」…。
内容も、
「絶対生きてる意味がないのもう死んでるのさ」「ワタシの血はナマズ色」とか「壊れた玩具は血まみれで狂い人形も血を浴びて」「私ハ標本 動カヌ標本 オ腹ノ中ニハ内臓ガ無イ」…。
まあ…なんとのうどんな傾向か分かるだろう。
高1でそれなりに作品をつくれるなんて、と感心する人もいれば、血とか心中とか死とかいう言葉に事件との関係を探そうとする人もいた。「けっ、椎名林檎のパクリじゃん」と吐き捨てる人もいた。
一部だけ赤にしたテキストや、旧字体(っぽい)&文語調、夢野久作や江戸川乱歩、唐十郎や寺山修司の流れをひく昭和アングラレトロ調なテイストは、
まあやっぱり椎名林檎。
(ただし桃寿のプロフィールの「好きなアーティスト」に、な・ぜ・か・椎名林檎は入っていない)
V系バンギャ(ヴィジュアル系バンドギャルつまり追っかけ)のサイトに詳しい人は、「典型的なそういう人のサイト」と言う。
それからセルフ撮りのナルシスな写真のなかに、自分のリスカ写真も載せていた(これが報道で話題になった)。
ゴスロリでアングラでリスカで、まあヤンデレってやつである。
▽ゴスロリ、舶来品のごった混ぜ風味
じゃ、彼女が郊外辺境で装着してたゴスロリことゴシック&ロリータってのは何か。
ゴスロリじつは日本発祥。
と、
ロリータ(Lollita これも日本生まれファッション)の少女的
を足す、という無茶な融合で生まれた。
だから黒いんだけどなぜかヒラヒラである。
メイドと間違えそうだが、
メイドとゴスロリはまったく違う(と本人たちは熱く主張)。
ゴスロリの源流はGacktがいたMALICE MIZERのMana様だといわれ──まあ細かいことはいいや。
ちょっと早熟で知的に背伸び中の桃寿のひそやかな反撥心に、ちょうどゴスロリがうまくおさまったんだろう。
椎名林檎はいまでこそなんだかお茶の間にふつうに受け入れられちゃったりしてるけれども、
2003年の頃は、3rdアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」をリリース。東京事変を結成して、まだ精液とか絶頂とか白目剥いてシャウトしたりして、アングラめいた匂いをゆんゆんさせていたから、
「他と違うわたくし」の表現にはぴったりだった。
桃寿は中学でも優等生だったが、自殺を図ったことや、リスカ癖も中学の同級生たちは知っていた。
彼女は「自殺願望がある」とサイトにも書いていたし、のち取り調べでもそう言っている。
母親も「またやる」ことを心配していたらしい。桃寿の家庭は、一見仲良しで問題のない私たちそうだったが、「娘が不安定」という微妙な緊張感のもとに保たれていたっぽい。
ただし、リストカットは死ぬためにはやってない。「痛みによって自己の肉体の存在をなんちゃら」とかなんとかむずかしい理屈はともかく、じっさい桃寿はそうやって日常のバランスをうまい具合に保っていたようだ。
▼「一緒に死ねる人」
ところが、ゴスロリ、国産のくせに日本の風景とは絶望的なまでに合わない。さまになるのはヨーロッパの森であり英国式庭園であり、ゴシック建築の洋館である。そんなもん日本にねえよ。
(例の鳩山会館がまさに的中なスポットで、狂喜したゴスロリが撮影に殺到した。黒いヒラヒラの大群に鳩山家は驚愕、速攻で「ゴスロリ入館禁止」となった)
ゴスロリは日本生まれなのに日本にはなじまない。ましてや郊外ならなおさら。
しかもゴスロリはロリータというマイノリティの中のさらにマイノリティだから、コンサバな近所はもちろん、中学も高校も同好の士はいなかった。少なくとも彼女は見つけられなかった。桃寿の通う高校は古い洋館風でゴスロリも合いそうだったが、まさか学校にゴスロリ着ていくわけにもいかない。
いくら「周りと違うわたくし」でも一人しかいないんじゃただの痛い人になってしまう。ゴスロリは疎外されてるのもひとつのステイタスだが疎外され杉だ。
自由放任な親はどうやら娘のゴスロリ趣味にも理解があったらしいが、そんな理解べつに嬉しくない、というか親にそこ理解されたくない。いやだ。
「誰かに関心を持ってほしい、そうでないと寂しい」
桃寿はサイト「禁句の接吻」を開設した。“周りと違うわたくし”に関心もって認めてくれるどこかの誰かに向けて。
でも“理解してくれる人”は意外なほど近くにいた。
ゴスロリ彼氏@18歳。芸大生。
彼女いわく「一緒に死ねる人」。
ところが出会ってから、たった2か月後。
このカップルはとんでもない悲劇を起こす。
皮肉にもゴスロリは2人のおかげで初めて世間に認知されてしまった。“危ないカルト”として。
(參)へ続く>