【事件激情】借りてきた「絶望」。──《伍》
摂氏零度の少女
2007年、「摂氏零度の少女」という小説が発売された。
著者/新堂冬樹は、社会のダーティ面を身もふたもなく描いたり、なぜか甘甘の純愛小説を書いたり多機能な作家だ。
医学部合格間違いなしの美少女女子高生。彼女は動物を次々と毒殺しまくり、ついに母親にも猛毒タリウムを盛る。日に日に衰弱していく母親の様子を冷ややかに観察し──。
2005年秋に起きた「あの事件」がモデルなのはまあ明かすまでもなく明らか。というより実録物かってくらい、もろもろ同じ。
しかし救いがたき人間の業系が得意のこの作者ですらできなかったことがある。
少女の動機として、
「幼い頃に可愛がっていた犬を母親が保健所に渡してしまったから、母親も同じ目に」
という湿度も温度もある愛憎めいた、分かりやすい切な系の理由をくっつけないと物語をつくれなかったことだ。
たしかにそうだろうなあ。マジで摂氏零度キャラじゃ感情移入もできないしホラーの殺人鬼になっちまうもんなあ演じるは三輪ひとみでセーラー服着せてなあ。
31歳セーラー服がんばります
が、実際に起きた事件はちがう。
“彼女”の動機は、物語に仕立てられないほど直截的で薄っぺらで陳腐だった。
温度も、もちろん湿度も感じられず、
だからこそ恐ろしい、
現実の“彼女”こそ摂氏零度の少女だった。
理系少女!ぼくっ娘!ネットはまた踊る…
2005年秋、静岡県伊豆の国市で一人の女子高生が逮捕された。
犯人が高1@16歳、しかも母親を毒殺というセンセーショナルな手口に世間がまた騒いだ。
とくに少女がブログで「岩本亮平」という男子名をHNに、母親の症状悪化の観察日記を綴っていたことでまた拍車。
マスコミは例によって「ネットの影響で…」「ゲームの…」「教育の…」「少年犯罪の凶悪化…」とどうでもいいことを垂れ流した。
そしてネットでは──、
理系女子高生、しかも「ぼくっ娘」なのも萌えを刺激し、モザイクのかかったセーラー服の画像、さらにいつの間にか洩れた「恋ゲーのキャラみたいな実名」も妄想を刺激した。
みんな前年6月に佐世保事件を起こした美少女ネバダたんを勝手に思い浮かべていた。
だから彼女を「タリウムたん」「タリたん」と名付け、勝手に容姿を想像をして萌えた。
こんなのとか、こんなのも。
いや少なくともこうでないと、とか。
誰も美少女と言ってないのに、なぜかそう決定だった。ちなみにメガネっ娘なのは「化学」「理系」のイメージだろう。
やがてモザイクなしの顔写真が流出し、潮が引くように萌えは沈静化。まあ…いろいろあるわな。
「グルムグンシュー」僕の絶望の世界
さて、「ネバダ」「桃寿」とかの通称であえて未成年の犯人たちを呼んできたけども、今回「タリウムたん」はどうしようか迷い中。
いやふざけててけしからぬのでは一切なく、どうも「キャラに合わない」からである。使った薬物と同じ名前でひたすらややこやしいし。
なのでとりあえず「彼女」か「少女」だ。
その「彼女」がなんで、今回ゴスロリのバカップルと同列扱いなのかというと──。
「彼女」の問題のブログ、
「Glmugnshu グルムグンシュー 岩本亮平の日記」。
6月27日に開設、マメに更新され、事件発覚の直前までせっせと書かれていた。
彼女は岩本亮平をHNに、つねに「僕」人称で書いた。学校でもを「僕」と言っていた。なかなかにしてぼくっ娘である。
マスコミでは精神分析医とかインテリゲンヂャとかなぜ社会問題の発言権があるの謎なタレントとかが、
「多重人格か」「解離性同一性障害か」「女性的な同一性を確立するプロセスが混乱し…」
とかテキトーなことをしかめつらでしゃべくった。
でも“その筋”の人々は「岩本亮平って…あれだよな」と囁き合った。
岩本亮平は、1998年から2004年までネット上で連載されてニッチに熱い人気だったUG系Web小説に出てくる主人公の名前だ。
タイトルを「絶望の世界」という。
連載当初の扉絵
作者はpikochu-のち宮谷シュンジ。
「絶望の世界」は、僕=岩本亮平の日記として始まる。
亮平はクラスで「虫」と蔑まれるいじめられっ子。彼と妹、両親、いじめっ子、優等生女子、教師、ウェブコミュニティがからみ合ってやがて事件が──。
1日3行程度で毎日少しずつ少しずつ小説とも事実とも明らかにせず更新されるので、「ホンモノかも」という異様なリアルタイム感とあいまって、窮屈で煉獄のような学校や生々しいいじめ、ギリギリ病んでる人々、ネット界暗部の描写が、ひそやかに中高生の共感を呼んだ。
けっきょく、物語くさい部分が出てきてフィクションと露呈してしまうんだが。
「絶望の世界」はそれ以外にも、
「これが実際の日記だとしても、そこに書かれてるのが真実とは限らない、ウソが混じってるかも」
だったり、
途中から書き手が途中で亮平から妹の早紀にすり替わったり(←もしかしたら読みたいかもしれないので一応白字反転)してることなんかが、ネットの匿名性や情報の不確かさにつながって興味深かったりする。
(が、とにかくシリーズが莫大でムチャクチャ長い)
ちなみに、
2004年5月24日、
行き詰まったのか飽きたのか「絶望の世界」のサイトはとつぜん閉鎖。「いつか出直してきます」という作者のあいさつとともに。
でも膨大なシリーズは例によってコピペ増殖してるのでいくらでも長い長い全文を見ることができる。
ちなみに、「絶望の世界」はこんな風に始まる。
序章
11月8日(日) 晴れ
今日はホームページ開設記念日です。日記を付ける決意をしました。
学校での嫌な事とかもきちんと書いていくつもりです。
僕の周りの人は僕がインターネットをやってる事を知りません。
知ってる人に見られる心配が無いので自由に書けます。
頑張ります。
続いて、彼女の「グルムグンシュー」の始まりはこう。
6月27日
日記を書き始めようと思います。学校の人はこの事を知らないので、嫌な事とかも全て書くつもりです。
まあ分かるだろう。
彼女はまんま「絶望の世界」をパクったんである。文章のタッチや書き手の名前やジェンダーな叙述トリックまで。
「酒鬼薔薇聖斗は好きではありません」
2005年6月7日、2ちゃんねるのニュー速VIP板で「絶望の世界」のスレが立った。彼女はちゃねらーだったらしく、ブログの開設時期からしても、それで「絶望の世界」を知って、マネしたのでは、といわれてる。
そうするとなんとなく分かる。彼女のブログ「グルムグンシュー」は「絶望の世界」の二次小説、同人パロディみたいなもんだ。
だから名前もタッチも一緒なのは当然てわけである。
彼女は何か書きたいことがあってブログを始めたのではなく、「絶望の世界」を自分でも書いてみたくなってブログという形から始めたんである。
さらにさらにちなみに、
女子が「僕」と名乗ることなんて大騒ぎするほど異常じゃない。
10代の一時期に「ぼくっ娘」化する女子はわりといるし、ネットのような場ではなおさらだ。
しかも「絶望の世界」の二次なんだから。
日記には、
「彼女と7時半まで寝ていました。彼女の寝顔は子猫のように可愛いです。僕とは大違いです」(7月2日)
とか、
「君と一緒になれて本当に良かった。僕等は何時までも一緒だよね。」「一つの体しか僕等は与えられなかった。今居る僕と隠れた君」(7月11日)
とか、
「僕の中に居る彼女の存在を感じなくなりました。消えてしまったのでしょうか。とても寂しいです。」(7月28日)
とか、
「変な夢を見ました。僕が彼女を食べる夢です。」(8月25日)
とか、
脳内の「男子と女子の人格」を匂わせる文もあって、これまた「別人格が…」とか説のもとになってるけども、
これもまた原曲の「絶望の世界」にかなり似たくだりがある。
リアルの彼女自身じゃなくて、日記の「僕」設定の中で書いたんだろう。別人格というより「モード」みたいなもんじゃないか。なりきりってやつ。
それをマスコミでは女性のコメンテーターまでいるにもかかわらず、多重人格とか解離性えーと、とか、わざとなのか本当に分かってないのか自分の少女の頃を忘れたのか、なんでかえってややこやしくしてるんだ、である。
彼女の日記の孕む異様さ不自然さは、「絶望の世界」の同人パロディ的なもんだ、と思って見るとずいぶん底が割れる。
しゃて、
「僕」は「絶望の世界」よろしくせっせと虚実織り交ぜた日記をしたため始めるが、まあ当然ながらいまいち面白くできない。
そこで尊敬する人グレアム・ヤングの日記を紹介してみたり、「絶望の世界」よろしく学校でのイジメめいたことや先生との奇妙な腹の探り合いを書いたり、女子のキャピキャピをうんざりと書いたりいろいろ試行錯誤している。
いじめという分かりやすい要因があればまたマスコミも「未成年の…学校の…」とかいって語りやすかっただろうが、どうもそんなのは少なくとも高校ではなかったみたいだ。
「グルムグンシュー」でもそういう部分は抽象的で作りもの臭くて現実味がない。
本当は女子なのに、男子として書いてるからなおさら。
また彼女のクラスは理数系で女子率が極端に少なかった。だから日記にあるような、
周りで女子の甲高い声が響いているのが聞こえます、
「だってぇー」
「クスクス」
「キャハハッ」
「あはは」
「うそォ、マジで?」
「ほんとだよー」 「本当にあいつが」
「うわっ、しんじられない!」 「マジかよ!」
「キモ過ぎだし、」
の状態は逆に難しいだろう。こんな大勢クラスに女子はいないし、いかにもステレオタイプのアホな女子杉る。
のちに彼女自身も警察の取り調べに「一部は創作」と認めた。
さらにさらにさらにちなみに「グルムグンシュー」という異形めいたブログタイトルだが、
「夢の中に出てきた奇妙な単語達」という個人サイト(彼女とは縁もゆかりもない)に「2004年の夢の単語」のひとつとして登場する。それ以外にはない。
そのサイトでは、
「人間に取り憑いて精気を吸い取る、残酷で無慈悲な大地の精霊。発音的にも北欧神話に本当に出てきそうだ」
と注釈がついているが、もちろんこのサイト管理人さんの夢の中にしかいない精霊だ。
彼女はたぶんこれを見かけて名前を「いただいた」んだろう。つづりは当て字っぽい。そのサイトにはカタカナでしか載ってないし。
とまあこれだけパクりながらも、彼女はなぜか唐突に、
あの「酒鬼薔薇聖斗」になぜか「オリジナリティがない」とライバル心を燃やしている。
7月30日
唐突だけど、僕は酒鬼薔薇少年が好きではありません。自作の詩だという「懲役13年」は、神曲等の有名な詩を切り貼りしただけの代物ですし。
しかしそう言う自分も同じ切り貼りだし、実験という名目があるにせよ、やっぱり小動物を面白がって殺してるのだった。
タリウム入手希望! その理由。
ちなみにところどころリアル現実らしいエピソードもある。
保育体験実習に行って癒されるとともに世話した4歳児にシカトされて寂しい思いをしたのも。
図書館で「死体を語ろう」「日本列島毒殺事件簿」「薬物乱用の科学」「有機科学入門」という本を借りたのも。
高1女子の選ぶ本とは思えんけど
西友で買った某目薬を麻薬代わりに飲んだのも。
酔い止め薬を通常の8倍飲んで「ふわふわ地に足が着いている感じがします。」になったのも。
外出したとき、車にはねられたネコの死骸を見たことも。
これまでたくさんの小動物を(自室での)実験や解剖で切り刻んでいて標本にしてある(自室で!)ことも。で、それは楽しかったけど、どうも後始末にうんざり気味なことも。
ブログがちっとも「絶望の世界」みたいに盛り上がった話になってくれないので(そりゃそうだ)、彼女は早くも、
7月19日
ネット上の性別は、籍上のものとは違うものが使われることが多いのでしょうか?だとしたら、僕の罪も少しは許されると思います。
と性別詐称を匂わせ、
8月17日には掲示板への書込みで、
「そろそろ僕は本当の事を話そうと思います」
「僕は女だ」
とあっさり白状してしまう。もうパロディは飽きたらしい。
以後、詩的な文章と、報告書のような劇物薬物萌えがごた混ぜでつづられ始め、「絶望の世界」色がどんどん薄れて、なんともアンバランスな日記に(彼女的には生き生きと)なっていく。
じゃあ問題の「母親毒殺」が芽生えるのはいつからだったのか?
ブログの「僕」は、なかなか巧妙で本心を明かさない。だから何をいつ決意したかは書かれてない、が、
8月9日に、塩化バリウム@劇物500g、酢酸タリウム@超劇物50gを近所の薬局で注文している。
これがリアル界での最初の動き(らしい)。
その3日前の6日に西友の薬局に行って「品数が少なくて思ったようにいかない」とブログでぶーたれてるが、西友でも酢酸タリウムを探したのかもしれない。夏休みに何をやってるのか。
なんで酢酸タリウムなのか。なんで青酸カリや砒素のようなメジャーな毒でないのか。
もちろん決まってる。
崇拝するグレアム・ヤング様が酢酸タリウムを愛用したからだ。
【陸】 好きな有名人は毒殺魔 >