【事件激情】借りてきた「絶望」。──《陸》
「死にたい人には薬をあげます」
「彼女」はどんな少女だったか?
高校入学の日、自己紹介で
「死にたい人がいれば薬を持っていますからあげます」
と言ったという。
県内有数の進学校。理数科に進学。化学部に入る。
成績は優秀。
とくに化学の知識は先生もたじたじになるくらいで、マニアいや化学オタクの域に達していた。
ふだんは静かで大人しいが、論理的な誤りには容赦なくツッコミを入れた。
山向こうに富士山をのぞみつつ──、
彼女はその住宅地に暮らしていた。
祖父母、両親、兄2人の7人家族。兄1人は別居。
もちろん「愛犬リトル」はいない。
「おとなしい家族」「親子でもめるようなことはなかった」というのが近所の評判。
さらにさかのぼる──、
小学校──。
すでに「僕」と言い始めてスカートを履かなかった。
あだ名は表情が乏しいから「爬虫類」。のち昆虫採集ばかりしてたので「ファーブル」とも。
ウサギにリードをつけて散歩。なぜか飼育小屋で弁当を食べる。
友だちとはあまり遊ばなかった。
というか変わってたので当然ながらいじめられっ子だった。
小学校の卒業文集にこう書いた。
「ウサギは世話をすれば世話をするほどなついてくるので一生懸命世話をした。逆の立場になって初めて分かった。これからは理由の分かる人になりたい」
中学に進むと──、
化学の専門書を読み始めた。中学生はふつう読めないようなやつ。
学年でも10位以内の成績。
とくに理科が得意。テストで100点でないと泣いて抗議。
落書き代わりに化学記号や数式を書く。
手芸とかをする創作部に在籍。のちに部長も。
中学の半ば頃まではいじめられっ子だった。
リーダーシップをとるタイプではないが暗くもなかった。
クラスではちょっと浮いていた。
「グルムグンシュー」を始める前、メルマガを発行(部数34部)。前年(中3)の夏からブログが始まった直後7月1日まで38回出されていた。
そのうちのひとつは「闇の中へ」という抽象的かつ暗めの詩。化学少女と同時に文系少女(暗系)の顔も持っていた。
中学の卒業文集、「好きな芸能人」の欄にこう書いた。
「有名人(あまり有名ではないかもしれないが)ならグレアム・ヤング」
彼女はしきりとグレアム・ヤングを礼賛する。でもヤングは芸能人じゃないし普通の有名人でもない。
実在の連続毒殺魔だ。
イギリス最凶毒殺魔の「毒殺日記」
グレアム・ヤングは日記をもとに伝記本が出版され、映画にもなったシリアルキラー。
化学オタクで、ナチスとオカルトと毒物が大好き。
「尊敬する人は、19世紀に14人毒殺したウィリアム・パーマー」
12歳くらいから「学校の実験で使う」とウソついてアンチモンやジギタリスを手に入れ、家族に盛っては様子を観察して日記をつけていた。
ヤングの毒殺デビューは14歳。相手は仲の悪かった継母。
使ったのは酒石酸アンチモンカリウム。
継母が倒れて入院すると、見舞いのふりをしてさらに毒を盛り続けてついに殺してしまった。
そのあとも父親や姉、1人しかいない友だちにまでせっせと毒を盛る。もちろん症状をつぶさに観察、「毒殺日記」に記録。
間抜けにも毒入り食を忘れて食べてしまい、一緒にうんうん苦しんだりしてたので、誰も疑わなかった。
ところがそこがガキというかオタクというか、毒の知識を自慢しすぎてバレて、あっさり逮捕。
犯罪者用精神病院で15年収容されることになる。
携帯していたアンチモンカリウムを「小さな友だち」と呼ぶヤングは収容されると、
「アンチモンがなくて寂しい。アンチモンが与えてくれる力が欲しい」とぼやいた。
9年後、ヤングは更正したと認められ、釈放。
しかし医者も役人もまったく分かってなかった。
ヤングは悔い改めるどころかやる気満々。病院内にある日用品や植物から手づくりの毒をこしらえたらしく、ひそかに病院スタッフや他の囚人に盛って実験台にしていた。
最初にヤングを診断した精神科医は、
「彼は毒の与えてくれる力に取り憑かれている。再び同じ犯行を繰り返すだろう」
と語ったが、まさにその通りになる。
写真現像所で働き始めたヤング。でもまもなく職場で病気になって倒れる人が続出。
もちろんヤングのしわざ。更正どころか、またまたやらかしはじめたのだった。
アンチモンは味が強く、食事に混ぜても味が変わってバレやすい。ヤングは「絶対にバレない毒は何か」と調べまくって、ナチスも使ったタリウムこそ最も優れた毒薬だ、と確信。
さっそく酢酸タリウムとアンチモンを手に入れた。
社員に配るお茶に盛った。最初、毒のせいとは分からず、未知のウィルスのせいだと思われていた。
ヤングのいた精神病院からの照会状には「毒物殺人での逮捕歴」がなぜか書かれていなかったので、ヤングのしわざだと気づく人はいなかった。
被害者は無惨なハゲに。
ヤングは捕まるまでの数か月でなんと70人に毒を盛った。
結果として、店長と同僚の2人が死亡、6人が病院送り。
しかし学習しないというか、ヤングはまたまたいらんことを言って墓穴。あっさり再逮捕。容疑は殺人2件と殺人未遂6件。
アパートから大量の毒薬と、毒物投与の様子をくわしく書き込んだ日記が見つかった。
ヤングは裁判で「おれはやってない。あれは日記じゃなくて小説用のメモだ」と主張したが、もちろん認められず有罪。
1972年、今度は刑務所にぶち込まれることになった。
1990年、心不全のため獄死(享年42歳)。自分を実験台にして毒を飲みすぎたという噂も囁かれた。
これが彼女のマンセーしていた「有名人」だ。
彼女が文集にグレアム・ヤング萌えを書いたのは、ヤングが最初に逮捕されたのと同じ年頃だった。
女子高生が劇物タリウムをどう手に入れた?
ところで酢酸タリウムは、そのへんでカンタンに買えるシロモノではない、はずだ。
昔は殺鼠剤に使われていたが、いまはもう少し安全な殺鼠剤があるので、ほぼ流通もない超危険な劇物だ。
致死量は1g。重金属なので少しずつ飲んでも体内に蓄積して重症状態になる。ヤングの見立てどおり、ゆっくりと弱っていくので病死と間違えられやすい。毛は抜けてハゲになる。
だからタリウムは犯罪にも使われた。日本でも1991年に東大の技官が嫌いな同僚に盛って毒殺する事件が起きた。
その後も、グリコ森永事件、和歌山毒入りカレー事件と毒物系の事件が世間を騒がせたので、劇物毒物販売はきびしめの規制がされるようになった。
18歳未満への販売は禁止。
購入時に氏名など個人情報を書き込んだ書類を提出、
のはずだったんだが、なんでまた片田舎の女子高生がやすやすと50g(50人殺せる)ものタリウムを持ってたのか。
答え=薬屋さんで買いました。
彼女がタリウムを買ったのは近所の薬局だった。
たぶんこんなのが店先にあるような町の小さな薬屋さんだろう。
「学校で化学の実験に使う」と言う真面目そうな少女のウソに店のおじさんはコロッとだまされた。もちろん在庫はないので取り寄せになった。
8月19日、問屋がまちがえて「酢酸カリウム」(死なん)を取り寄せてしまったと分かり、もう一度再発注。
薬局も問屋も、この凶悪な劇物にまーたく無知だったと分かる。青酸カリや砒素のような有名どころとちがってマイナーな存在だったからだろう。
酢酸タリウム50gは市販で8万円くらいする。高校生の資金力では無理がある。ほかの薬物だって決して安かない。よほど「お小遣い」がふんだんだったんだろう。
彼女は並行してとっとこハム太郎ことハムスターにアンチモンを与える毒物実験も始めた(もちろん自室で)。ほぼ毎日(実験○日目)と観察日記をアップしている。
そして8月24日、
「薬局のおじさんは『医薬用外劇物』の表示に気付かず、必要な書類を通す事無く僕に其れを渡してきました。」
彼女はまんまと待ちこがれたタリウム25gを手に入れた。
この薬局は、「化学部の実験に使うという話を信じてしまった」と弁解した。まあそうだろう。ダメじゃんだが。
彼女はまた他の試薬についても、「判子さえあれば未成年でも買えますよ」という裏技も掲示板に書き込んでいる。
薬局で劇物ビス(トリブチル錫)と塩化バリウムを500gずつ買うし、ネット通販で硫酸まで買うし。
厚労省の規制は実際にはのん気な現場ではまったく機能してなかった。
「兄は此れを見ている」
彼女は「死」とかについてどう思ってたのか。
掲示板にこんなカキコがある。
(前略)
死体とか解剖に興味あるのかって?
半分当たりで半分外れですね。
「生を理解しようとして、死に興味を抱く」
此れが僕の生き方だと思います。
(以下略)
まあ哲学っぽいがたぶん気取りだろう。彼女の脳内では死も生も善も悪もたぶん化学の知識以上の意味がない。生というのも言葉では書けるけどいまいちピンときていない。誰も教えていないし。
8月14日、彼女は、
「兄は此れを見ている。訪問者記録に残っている。挙動から分かる、それとなく臭わせている。ごゆっくりどうぞ、お客様。」
からかうというか牽制というか、挑発するように書いている。
兄との間に、なにやら緊張感があったらしい。彼女は日記でいろんな毒物を自分で調合したり、ハムスターにアンチモンを投与して効き具合を確かめたりしたことを報告してる。
兄が妹を怪しみ始めたのは別にも理由があったのだが。
彼女は待ちわびた酢酸タリウムを前に「さてどうやって実験しようか」とわくわくしたに違いない。ハムスターではつまらない。
さてどうしようか。
母親に顔のむくみと湿疹の症状が出たのは、その日、24日だった。
──つづく
【柒】「逃げ切れる。捕まるものか」 >