【事件激情】借りてきた「絶望」。──《柒》
ゆらゆら、ゆらゆら、おもしろいよ
母親は皮膚科で診てもらった。
「医者もただ首を傾げるばかりで原因は分からないそうです。」
と彼女は用心深く書いている。
だが一方で次の日26日と27日の「グルムグンシュー」では、
「お腹が痛いです。原因は解っています。タリウムです。昨日、それの水溶液を誤って指に付けてしまったのです。」
「寝ても起きても気持ち悪いし、指先とか脚とかが痺れてきたので、解毒剤を作りました。タリウム中毒の治療は…、」
と、自白すれすれのカキコ。ブログを覗き見してるであろう兄への挑発なのか。
ちなみに本当のタリウム中毒ならその程度の中和剤では治らない。
8月31日、
「暗い部屋で、蝋燭の炎を見る。ゆらゆら、ゆらゆら、おもしろいよ・・・」
そんな子どもじみた一方で冷徹にタリウムを盛り続けていた。
ちょうどテレビでは台風カトリーナ上陸で湖と化した米ニューオーリンズが無法地帯になっているというニュースが流れている。
母親はスーパーの紳士服売場でパートをしていたが、足の具合が悪くなって、9月10日を最後に出勤できなくなる。
世間は郵政選挙、小泉劇場で浮かれていたが、この一家はもはやそれどころではなかった。
9月11日、母親はさらに体調を崩して、
12日にはほとんど動けなくなって寝込んでしまう。
13日には電話で職場に辞職を申し入れる。よほど急速に悪くなったんだろう。
そんな悪化する母親をよそに、彼女はご機嫌だ。カフェ錠を飲んでハイになって体育の補習で500m爽快に泳いでいる。
母親が重病だというのに平常心すぎる様子そのものが怪しいのだとは彼女は気づかない。
彼女は用心深くかつ不用心だった。
同学年の女子に「タリウム飲ませようか。手足痺れるから」と話したりしている。
タリウムを手に入れたことがうれしくてうれしくてしかたなかったようだ。
これでグレアム・ヤングと同じだ。全能の力を手に入れた気分だったろう。
9月14日、彼女は例の薬局で注文した酢酸タリウムの残り25グラムを受け取った。
9月19日の書込み。
「現実の方が大変になってきてしまったので、暫くブログの更新を停止します」
この頃、母親がさらに重症化したらしい。
もちろん普通の検査ではタリウムのせいだと分かるはずもない。病院でも原因不明だったろう。
このときの「大変」が何かものちほど分かってくる。
9月25日、「グルムグンシュー」の更新が1週間ぶりに再開。
「隠れる事は喜びでありながら、見つけられない事は苦痛である。見つけられることは危険である。しかし其の逆に、自分が存在していることを確認するためには、誰かに見つけられるしかない」
またまたタイトロープっぽい一文。彼女は露見をおそれる反面、自分の力(というかタリウムの力なんだが)を誰かに誇りたい誘惑にかられていた。
28日、母親は悲観的になってるのか「よく泣くように」なって、彼女に「毒をつくってほしい」「誤って飲んだ事にして貰いたい」と愚痴るようになる。(もうとっくに盛ってるのだが)
「自殺衝動が出始めたようだ」と、彼女は冷徹にカキコ。
毒を盛るのは直接殴ったり刺したりするわけでもないので、最も罪悪感が薄い犯罪だ。万引きより薄いんじゃないだろうか。そして奇妙な全能感もともなう。魔法でも使えるような気分になる。
10月2日、父の連絡で救急車が駆けつけ、母親は緊急入院する。
「布製の担架で運ばれて行った。父も同伴した。少し悲しそうな顔をしていた。」
「母の顔を暖かいタオルで拭いてあげた。」
そのあと母親に病名がつく。
「今日は調子が良い。何でも新しい薬を貰ってきたという。病名も分かった、ストレスによる多発性神経炎だそうだ。検査で何も出なかったからそう判断したらしい」
タリウムなんてマイナーな毒物なぞ思いもよらない病院が、こんな謎の病名をつけるのもまあやむを得ない。
彼女は毎日病院に通った。見舞いがてらデジカメで写真を撮った。
もちろん観察日記に必要だから。
この頃の「グルムグンシュー」は、冷徹な病状報告が書かれたかと思えば、とつぜん詩的なカキコが混じる。もちろん可愛らしい詩じゃなくてこんなのだ。
10月9日、
「蒼ざめた馬の通る道に、規則は存在しない。暗闇を進む足跡は草木を枯らし、死を招く。其処に生命は宿らない。在るのは寂しい同じ形。」
“蒼ざめた馬”が、「黙示録の四騎士」の最後の一騎だとすれば、その騎士の名は「死」。
「人って案外簡単に騙されるものなんだ」
原因がよく分からないままステロイドによる治療が続くが、母親の病状はよくなったかと思いきやまた悪化するなど一進一退。
当然だ。娘が看病にみせかけてせっせとタリウムを食事に混ぜては飲ませ続けているのだから。
10月16日、
「叔母が言うところによると、母は幻覚を見始めたらしい」
悪いともなんともない淡々としたカキコ。
どんなときも喜怒哀楽がないのが彼女のブログの特色だ。
「それがおかしい」。だから異常だ、サイコパスだ、という声が多い。
彼女の本音はブログにはない。「グルムグンシュー」は人に見せるための作品なんだから。しかも兄まで検閲してるのに真実を書くわけがない。
彼女の剥き出しの本心は自室PCの秘密の日記にあった。
まあそれでも異常な感じは隠せないんだろう。
「長男に目つきが怖いと言われた。寒気がするって、僕は毎日この顔を洗面台の前で見ているんだぜ。」
さすがの彼女も、疑われないようにいろいろと偽装工作をする。
「先生に筆記用具を借りた。其の時泣きながら母の話しをして、同情を得た。人って案外簡単に騙されるものなんだと思った。」
じつは警察が、ひそかに彼女をマークし始めていた。
母親が入院してしばらくして病院から「病状が特異」と警察に通報がいき、
20日には彼女の兄も、
「じつは妹は、猫を毒殺したことがある」
「入院前後から妹の様子もおかしい」
「妹が毒を入れたんじゃないかと思う」
と警察と医師に相談。
さらに警察が詳しく病状を洗うと、「タリウム中毒」らしいことが分かる。
タリウムなんて日常そのへんに転がってない毒物だ。
発覚は時間の問題だった。
「逃げ切れる。捕まるものか」
16日に続く「同日」、
「僕の日記から見せられない部分を切り、貼り付けた。其の為、意味の通じないところも在るだろうが、其れは其れで良いのである」
また綱渡り。崖っぷちギリギリわざとふらふら歩く遊び。
この一文をおそらく最後に「グルムグンシュー」の更新は途絶えた。
10月21日未明、彼女は大量の睡眠導入剤を飲んで昏倒、緊急入院したからだ。
彼女も周り(とくに兄)に怪しまれたことに勘づいたのだろう。
死ぬつもりだったんではない。命にかかわらない程度に量を計算して飲んだ狂言だったはずだ。
そうして「毒殺だとしても他に犯人がいる」と見せかけるつもりだった。
だがそう子どもの企みどおりにうまくはいかない。
10月31日、彼女の退院を待って、翌11月1日、静岡県警少年課と三島署は、殺人未遂容疑で彼女を逮捕した。
(奇しくもゴスロリカップルの逮捕日と同じ。そしてワ士の誕生日も同じ)
警察が家宅捜索に踏み込んだ彼女の部屋は、ちょっとした実験ラボだった。
タリウムの粉末や濃硫酸、濃塩酸など30種類の劇物を含む薬物、カエルやウサギ、ハトとかの死骸や内臓などの標本も見つかった。
薬物の専門書20冊、もちろん彼女のバイブルであるグレアム・ヤング様の「毒殺日記」、それにヤングも信奉していたナチスドイツ系の写真もあった。ハイルヒトラー!
押収されたデジカメには、小動物の解剖の模様や、病室でふせっている母親の画像が保存されていた。
さらに彼女のPCのハードディスクに「真実の口」というフォルダ名の日記が見つかった。なんとバレやすい。
PCの日記はブログ「グルムグンシュー」とはまったく違う内容だった。
物静かな優等生とも「岩本亮平」ともちがう裏の裏の顔があった。
そこには、
「僕」が、食べ物などに混ぜて「Atom」に「碧の小枝」「エダ」を摂取させた、と書かれていた。
「足が痛いと訴えている、当たり前だ」
「僕が入れたのだ、試すために」
脈拍の数値を書いて、「薬を与えなければならない」。
「Atom」が入院した後も、コーヒーと冷蔵庫の麦茶1つに混ぜ、「人工呼吸器をつけた口に水溶液を」垂らして「エダ」を飲ませ続けたこと。
「知っているけれども言えないし、言わない」
「逃げ切れる。捕まるものか」
「ばれないか不安で仕方がない」
ブログにはない真相が赤裸々に書かれていた。
「Atom」とは母親、
「碧の小枝」「エダ」は酢酸タリウム。タリウムの語源はthallos、ギリシア語でまんま「緑の小枝」。
彼女の動機
優等生の逮捕(しかも実の母親への殺人未遂)に、学校も周りの人間もショックを受けた。
学校の関係者も、
「関心の持ちかたが普通とは違ったが、問題を起こすようには見えなかった」
と言うしかなかった。
家族も同じだった。
祖父は押しかけた取材陣に強く語った。
「これは事故なんだ。あんたたちは何も分かっちゃいないんだ」
取り調べで彼女は「日記は創作」「現実と空想を交えて書いた」、タリウム投与について「そんなことはしない」とかたくなに否認し続けていた(グレアム・ヤング様と同じ言い訳)が、
やがて静岡県東部では過去3年、個人でタリウムを買ったのは彼女だけだったと判明。
警察は「犯人は彼女しかあり得ない」と確信した。
なぜタリウムだったのか、なぜ母親だったのか。
答えはたぶん、「グレアム・ヤングがそうしたから」。
彼女のすることは、何から何まで模倣だった。
ヤングを崇拝し、ヤングと同じ毒を愛し、同じウソで手に入れ、同じように相手を選び、同じように入院先でも毒を盛った。
気に入った「絶望の世界」そっくりのブログを始め、同じように絶望な自分をこしらえようとした。
同じように身内に怪しまれて捕まったところまで皮肉にも同じだった。
家族内の殺人の動機として理解しやすいのが、憎悪や恨みだ。
彼女は母親を憎んでいた?
さて、
彼女は父親は「お小遣いをくれるのでなついていた」
じゃあ母親には?
彼女の供述「とくに親しみは感じてなかった」
無感情。これ、憎悪や恨みよりひどくないか?
その後、明らかになったのは、
「タリウムを試したくて母親に飲ませた」
「予想以上に重い症状になったので、発覚するのが怖くてさらに飲ませた」
だった。
単に身近にいて観察しやすいから母親を実験台に使ってみた。
でも効きすぎた。
バレると困るからもっと飲ませて証拠隠滅をはかった。
なんて幼稚、なんて単純、薄っぺらで、無味乾燥。
これがリアルの“摂氏零度の少女”の動機だった。
再逮捕されたグレアム・ヤングの供述──、
「彼らを人間として見なくなったんだと思います。より正確に言うなら、僕の一部が彼らを人間と見なさなくなったんです。彼らはモルモットになったんだ。」
──つづく
【捌】(終)彼女たちの「居場所」>