【事件激情】その男、K。─秋葉原通り魔事件 #03

#02 「最涯ての10秒ルール」
  
  
 『謝罪の言葉をきっかけに、母を許すことができました』
           ────加藤智大の弟による手記
  
2010年7月27日公判の加藤智大の両親の証言、被告人質問の結果を反映した「改」バージョン#03こちら
   
  

スーパー女子高生マイキー

  
2002年、──東京都。

マイキー@15歳

が入学した2002年、都立日比谷高校大改革の真っ最中だった。


  
この学校からは、国会議事堂議員会館、メジャーな高層ビルが周りに聳え立つというハリウッドのカン違いした日本のシーンのようなシュールきわまる風景が望める。


便利なグーグルアースさんより
  
赤丸日比谷高校、すぐ隣に聳えるのがプルデンシャルタワー@元ホテルニュージャパン跡地。左手前が山王パークタワー。画面奥には赤プリ@廃業やニューオータニ村も見える。画面の右下が国会議事堂、右上のちろっと見える緑地は皇居のお濠。
  
校名は日比谷でもまさに永田町にある高校なんである。
  
で、かつての名門日比谷高校はいったん低迷し、マイキー入学の前後からの大改革で再生、進学校として復活したんであるが、
  
その復活物語はまた長いので、
別ページに分けた。>「日比谷ルネサンス」
  
マイキーの学校は優秀でよい高校」とだけ知ってれば、まあスルーしても無問題。まあ、この日比谷高校の復活劇は復活劇でけっこう面白いけれども。
  
マイキーが入学したのは、ちょうどこの大改革「日比谷ルネサンス元年の年だ。
  

やる気満々な優秀少年少女がひしめく日比谷の中でも、マイキーの存在はずば抜けていた。
  
まず、在学3年間を通じて、ずっと学年トップクラスの成績をキープし続けた。

といってガリ勉子ちゃんでもなく、

伝統50年以上で部員100人で演奏レベルの高さで有名(以上形容詞)オーケストラ部で、バイオリンパートのリーダーとして活躍。

1年生のときから合唱祭の指揮者、文化祭の演劇でも中心になってクラスを引っ張り、

自分でバンドも結成、ボーカルやキーボードを担当。

今オタク系で人気のけいおん!の世界っていうんですか?あんな風に。
得意なのはシャカラビッツの曲。
  
さらにすごいのが、人間的にも無欠点だったらしいこと。
  
明るいムードメーカー。さばさばして男女ともに友だち多し、賢くて友情に厚くて裏表がなくて誰からも好かれるキャラ。へんくつな子もマイキーにだけは心を開いた。
  
彼女は人を惹きつけ、力づける不思議な人間力に満ちていた。


  
以上は10人くらいの人間について書いてるんではなくマイキー@女子高生1人のやったことだ。
  
世の中にはつくづく凡人には及びもつかない超人的行動力の人というのがいる。マイキーもそんな人種。無限にわきでるバイタリティーがあった。

それに学校もマイキーが伸び伸び真価を発揮できるいい感じの環境にあった。
花も実もある真のよきエリートを育成!ってことで、日比谷では文化、芸術、音楽、体育など受験科目以外にも力入れていた。部活の入部率も9割(ホントの秀才ってのは部活と勉強を両立させてるもんだ。ひょーすごいもんだ)
文化祭では各クラスが教室で演劇を上演、という伝統もあった。
  
その点、マイキーは先生たちもほっくほくの理想的な日比谷高生だった。

もっとも彼女が優等生をやってるのは先生を喜ばすためでなく、ちゃんと目的があったんであるが。
  

酒鬼薔薇聖斗と同い年なんだよ」

  
さて一方、時は高速逆回しで4年前の青森に。
  
1998年、──青森市
  
青高に入ったK@4年前は元気にしてるだろうか。
  

  
こちらは4年未来のマイキーとはまるで対極的な道をたどった。
まるで黒白反転。偶然なのに。
  

K母の人生予定表によれば、青森高校に入学して、輝かしいエリート息子の母人生が始まるはずだった。
  
一応、K@高1にも将来の目標はあった。
北海道大工学部に行って、んでもってクルマの設計をすることだ。


なんかK的にはこんなイメージで
   
ところが、進学校となれば県下の中学で頭いい子たちが集まって玉石混じりようもなくて玉しかないぜ、なわけで、
秀才に囲まれてK@高1は、あっちゅう間に埋没する。
  
高1の夏、K母は早くも、
「成績がいまいちで」と親戚に愚痴っている。
   
どころかK@高1は平均以下からブービー賞あたりをうろうろしていた。
  

中学までは秀才くん、高校でみるみる負け組へ転落。これ決して珍しいパターンではない。
中学までは詰め込み式でなんとかなっても、高校ではまったく勉強の質が変わる。勉強の仕方が分からなくなるのだ。
この掲示板辺りにいくと、そんな元秀才たちの恨み節が満ち満ちてて怖いぞー。
  
いかんせんK母は高校に入ればあとはなんとかなる、と考えていた。
  
高卒→労金勤め→専業主婦で現役離れも長いK母には中学の勉強までが限度で、高校それも青高レベルなんてついていけない。(まあもし仮にやれても高校生がおかあさんに勉強教えてもらってる図はなんとも不気味になるが)
  
そうなると母親の検閲力のみで優秀だったはたちまちピンチ。成績はどんどん落ち、くさって部屋でゲームばかりするようになった。
  
さて、この長男を前にK母はどうしたかというと、
   
   
  
   
見捨てた。
  

そして「上のは失敗だったけど、今度こそ」
と、もう少しばかり出来のよさそうなK弟の方に鞍替えしたのである。
  
以後、不良品は存在しないことになった。
  
どころかただの厄介者になった。


  
「あの子とご飯を食べるのもすごく嫌だ
K母はママ友に漏らした。
酒鬼薔薇聖斗と同い年なんだよ。怖ぐで」
「さ、さがきばらって、あの、神戸の?」

さすがにママ友もK母が実の息子を殺人鬼と同列扱いするのに面食らった。
「怖い? トモヒロぐんが? なへよ?」
「怖ぐで」
  

K@高校生は実に高校に入るまでドラえもん「まんが日本むかしばなし」以外の番組を観たことがなかった。
さらに友だちンちと行き来しないのは世間の常識と思っていたのに、それは家だけの常識だと知って驚愕した。
  
そしてK母がどんな母親で自分に何をしてきたかやっと悟った。

K@高校生は母親に手を挙げるようになる。家庭内暴力
  
もう黙って10秒ルールに従う小さな子どもじゃなかった。
親にモノに当たり散らし、荒れた。
  
学校でも普段大人しいが、

気に入らないと炸裂した。素手で窓ガラスを割った。
  
K弟とは一つ屋根の下に暮らしながらまったく会話なし。
事件後、K弟週刊現代に高ーく買ってもらった手記で、兄のことを「アレ」とか「犯人」とか呼んだ。
  
K母の半分以上自業自得というしかないけれども、家族状況は空中分解の一歩手前だった。
  
じゃあK父はそのとき何やってたんだよ、というと、
仙台の支店を任されて宮城青森を行ったり来たりの生活で不在がちだった。
ついでに夫婦仲まで冷えていた。
  

この頃、先生から見たの印象。
「大人しくて、とくに問題も起こさないし…記憶にない
ないのかよ。
  
クラスメイトも…、
地味だった」「大人しい」「変だってとこはなかった」「暗くはないっていうか…普通」「よくキレてたけど」
   
それでも世の中、いい人ってのはいるもので、暗黒の高校生活で少ないながら友だちもできた。

卒業後も彼ら友だちは墜落していくを励まそうともした。その誠意も結局は届かなかったけれども。
  
高3の夏。
K@高3は一応、中学と同じくソフトテニスだった。
部の仲間が、個人戦で東北大会まで進出、福島まで遠征に行った。
その宿にから急に電話。
「おれも今、福島さいるんだ」
「へ? なへよ、トモヒロ。学校は?」
「おお、家出した
慌てて部員は顧問に相談。
慌てて顧問は宿泊先の旅館にを呼んで説得。
翌朝、慌ててK父が引き取りにやってきた。
   
そのあと父子が阿武隈川の川原ででも殴り合って、

両者泣きながら
「おやじ〜」「息子〜」、

ひしっ、
  
とでもなればよかったんだが、
  

この父子にそんな奇跡は一瞬たりとも起きなかった。
  

「音楽の仕事がしたいんです」

  
  
さて、時空を超えてふたたびマイキー@女子高生

彼女は日比谷高校でただばく然と優等生してたのではない。
すでにしっかりと将来の目標を見据えていた。
  
なにって、もちろん、


  
音楽学? 第1志望が?」
「はい、将来、音楽関係の仕事に進みたいんです」
東京藝大。…なるほど」
  
なるほど…しかし…。
  
先生たちは、マイキー大受を目標にした指導計画を立てたいと考えていた。彼女ならきっと東大に現役合格できるだろう。
だが藝大となると…?
  
たしかに藝大に合格する生徒が出れば、それはそれで日比谷高校の改革の成果になる、なるんだが…。しかし…、
「うーん、でも普通科から音楽学を受けるのは大変なんじゃないかな」
  
実際、音大を目指す子は音楽学大受験専門校に行ったり、早くからプロの講師についてレッスンしてるのだ。
まともな音大の実技試験は、部活のオケや吹奏楽で活躍してる程度じゃ通用しないんである。
まして東京藝大ダテに芸の字が旧字体じゃない、国内の芸大の頂点。芸術エリート中のエリート中のエリートの集う場だ。ある意味、東大よりも難関。
  
全国から音楽の超人たちがぞろぞろ集まるのだ。いくらマイキースーパーJKでもさすがに…。
  
でもマイキーはニコニコして、
「いいえ、わたしには普通科の方がいいんです」
  
わたしでも音楽の世界にいられるんです。
  
マイキーにとって今や音楽は人生のすべてだった。でも、ごくごく早い時点で、
  
(自分は音楽家としては大成できない
  
と冷静に見切ってたんではなかろうか。進路の選び方からしても。そのへんはただの夢見る夢子ではないところだ。
  
ここから下は、想像というか妄想入ってるが──。
  
もちろん彼女の音楽センス演奏の腕前は、その後も音大生たちと音楽ユニットを組んだり、軽々と作曲もこなしていたから、常人よりはるかに上だったんだが…。
  
(でも、わたしは第一線でプロになれるほどじゃない)
  
がエレクトーンコンクールで何度か全国大会までいってるのに妹の自分都大会止まり。そのからして絶対の才能があるわけではない。
  
この世界には、努力だけではどうにもならない、あゝ無情な壁がある。
  
何歳の頃か、聡明な彼女は早々と理解してしまう。
  

音楽をとても愛してる、この思いは誰にも負けない、

なのに、わたしにはその才能が足りないんだ。

そんなの、ふつうの女の子だったら悲しくて悔しくて大いに絶望して泣きわめいて転げ回ってひねてしまうところだが、
  
このときマイキーはすでに自分の取るべき道をしっかり見い出していた。
このへんの意志の力とポジティブシンキング力は本当に同じ人間かよとさえ思う。
  
以上、妄想ここまで。
  
で、そのマイキーは言った。
  
音楽環境創造科を受けようと思います」
  
先生も意表を突かれた。
  
音楽環境創造科。2002年に東京藝大に創設されたばかりの“若い”学科だ。
  
5.1chデジタルサラウンド時代の音響や録音の最先端技術演奏環境デザイン、文化環境の整備──まあなんだかよく分からないが、「21世紀の学問」という通りの内容。
さすが東京藝大なにしろ芸が旧字が、この新学科にはかなり力を入れているらしい。
藝大の中でも異色の存在で、日比谷の先生もその主旨を理解はしていなかっただろう。
  
でもマイキーは確信していた。じかに演奏したり作曲するんじゃなくても、それを支える立場、プロデュースする立場になれば、音楽を一緒に創り出すことができる。
  
「なるほど、そうか。そういうことか」
「はい、この科の受験は実技がありませんし」
  
音環だけは珍しく選考がセンター試験小論文、面接。実技はない。
  
というと推薦入学にも見えるが、そんな甘くない。
    
実技重視の学部ならセンター試験が60%程度でいいだろう。
しかし音環の場合、センター80%足切りライン、できれば90%が必要。小論文も面接の質疑応答も厳しく高度。
この生まれ立ての科が“良質な頭脳”を求めているのは確かだった。
  
でも、なるほど、他ならぬマイキーなら。大いに可能性がある。というか彼女のために作られた科みたいなものではないか?
  
先生もなんだかワクワクしてきた。これは面白い。学校挙げて応援する必要があるぞ。
  
「分かった。簡単じゃないけどしっかりと支援していくから」
「はいっ、ありがとうございますっ」


きらきらッ。
  
  

書を捨てよ、町へ出よう

  

さて、また時空を遡って、青森のK@18歳。
  
高校3年となると進学の年だが、の進学先がどうなったかというと、
  

岐阜県中日本自動車短大。
  
えーと、客観的な数値として、
偏差値(難易度)36
  
おおむね短大の偏差値は4大に比べて低いが、正直いってこれはかなり低い。
  
この短大がどうのこうの言いたいのではなく、いくら成績が下から数えた方が早いといって、青高から行く学校ではない、ということである。
  
北大レベルセンター試験82%、二次61)を狙わなければ、でもそこそこの4大には行けたはずだ。なんなら推薦という手もある。学校も進学実績を下げたくないから喜んで内申書に手心をくわえてくれただろう。
だから青高からこの短大へは、よほど“努力”しないと行けない進学コースなのだ。
  

は2年のとき、すでに進路相談で、
自動車関係の仕事がしたいから」「短大に行く」
と先生に伝えていた。先生も驚いた。
  
「そこは短大とは言っても…んーそのうどっちかといえば専門学校みたいなもんで、自動車といっても設計じゃなくて、あれだ、あのー整備士になる学校じゃないかな…いや決してそこが悪いとは言わないが、そのう…まあ…なんだ…空がきれいだなあ」
  
はといえば、K母の反応を待っていた。
期待に反して息子が超格落ちの進路を選んだことに、きっとがっくりきた顔をするだろう。泣いて詫びるかもしれない。頼むから考え直してとすがるかもしれない、と。
  
  
K母の反応は、
  
  

無反応。
     
不快な顔はしたかもしれない。ため息くらいついたかも。

  
でも期待した顔ではなかった。
  
K母はすでにスペアのK弟@3歳下の方に全期待を傾けていたから、不良品が何しようともうどうでもいいのだ。
  
「お子さん、卒業したらどちらの学校へ」と気軽に話題を振った近所の主婦に、K母「悪いけど進学か就職かも聞かないで」と嫌そうに言った。
親に恥をかかせて、といううんざり感はあった。
  
は自分の未来をぶん投げた捨て身(とはこの頃まだ気づいていない)の反抗が空振ったと悟った。

卒業直前になって、
「やっぱり、学校の先生になりたいです」
と先生にすがるが、当然ながら手遅れ。
  

卒業のとき、生徒会誌にK@18歳は書いた。
  
「ワタシはアナタの人形じゃない。赤い瞳の少女(三人目)」
  
アニメ新世紀エヴァンゲリオンの人気キャラ、綾波レイの3人目のクローンが、冷酷な司令官に告げたセリフだった。

うわしまった、劣化クローンだ。
  
でもK母の渾身の決めゼリフなんてもう読んじゃいない。
K弟@3歳下が、これまた進学校弘前高校にみごと合格。
そちらにしか目が向いていなかったからだ。
  

K@18歳、故郷を遠く離れて、中部地方岐阜県へ──。
  

初めこそ進学校に合格して、似たスタートを切ったマイキー
しかし2人は人としての中身がまったく違っていた。
まったく異なる高校3年間を過ごし、まったく異なる思いで進学にのぞんだ。当然まったく異なる結果となった。
  
  
7年後、事件の2か月前の4月3日、
ケータイの掲示板に、K@25歳は書いた。
  

  
 もし一人だけ殺していいなら母親 
 もう一人追加していいなら父親
  
  

【つづく】 > #04 「毒のある花」
  

【事件激情】