ホントにゆとり教育が諸悪の根元なのか?

noriaky1112010-04-21

しゃて、

かのネバダたんとミタちゃんの世代は、小学校でゆとり教育とやらが始まったときに小学4年くらいだったゆとり第三世代になるらしい。(あれ?違った?算数苦手ん)

いまやゆとり世代というのは「使わない方がいい」という差別用語にすらなってるようである。たしかに良い意味で使われた試しはない。

彼らのうちひと足先に社会に出たのは、高校でゆとり教育週休2日)を受けた第一世代で、「2008年入社組」などと呼ばれるらしい。
しかも忌み言葉のようなニュアンスで。


さらにそのあと、総合学習などという遠足とか遊びの時間やらカリキュラムが大幅に削減されるやら円周率が3になるやらの世代が第二、第三、と続くわけだが。算数が苦手なので何年生まれがどうというのはまあもっと詳しいサイトやブログに載ってるだろうからそれを見てくれ。


しかし、ワ士はこのゆとり教育を受けた=ダメというのがホントかよ、と思ってるんである。


いまのビジネス系サイトとかを見ますれば、
ゆとり世代との付き合いかた」
ゆとり世代の育成術」
とかいう言葉があふれているんだが、

そこに描いてあるゆとり世代どんな資質を持ってるかというと、

・失敗をおそれ、間違いのない答えを求める
・自分から動けない
・真面目で、言われたことはできる
・入社時からうわべの知識だけはある
・下積み仕事や雑用を嫌がる
・ITの使い方など部分的な能力は優秀
・ハングリー精神がない
・飲みニケーションに付き合わない
・メールで重要なことを済まそうとする
・人の気持ちを推し量れない


なんてことが並ぶ。
人事担当者や上司たちも「今までにないタイプの世代」と戦々恐々としてるそうな。


しかし待てよ?
こんなもん、懐かしの「新人類」もそうだったし、ありとあらゆる新卒入社がその上の世代から「最近の若いもんは」的に言われ続けてきた要素じゃないのか? どこが違うのだ?

しかも、仕事で接するどの世代にもこういう人は見かけるではないか。
要は「使えない人」だ。


上のうち「飲みニケーションに付き合わない」「メールで重要なことを済まそうとする」とかは、ゆとり教育と関係ないだろう。
それにむしろ今の新卒世代は「飲みにケーションに行きたい」と志望してると聞くぞ。


ワ士的には、こんなものはある世代に突然変異みたいに出てきた希少種ではなく、ゆとりだろうと昭和だろうと大正だろうと、上のような欠点(あえて特徴とは言わない)のある「使えない人」どの世代にもいるし、どれも似たり寄ったりに使えない。


ところがどうもゆとり世代という年齢層には、その「使えない人」の数が多いそうな。

ホントかよ、高校生だけゆとり教育だからってそんな大幅に変わるのかよ、と腑に落ちないような顔してたら、


そのうち、面白いブログを見つけた。

(算数が得意そうな人で、表がいっぱい載っている)

「ゆとりじゃなくて大学全入時代のせいだろ」

と言うんである。


たしかに奇しくもゆとり世代となんとなく近い時期になる。なんとなくだが。

要は出生率が低くなって全入とは言わないまでも選り好みしなきゃどこぞの大学には入れるようになったというやつだ。
(全入と云いながら、じっさいは2009年でも進学率5割なんだがの。ちなみに1990年は1/4弱だった)


じゃ、出生数を見てみますれば、

1965年の182万人、1974年の第二次ベビーブームの209万人あたり(このへんまでが管理職世代)とくらべると、ゆとり第一世代といわれる1988年生まれ(いま22歳)はがくっと減って130万人、1990年生まれ(いま20歳)は124万人とどんどん減っている。

これはどういう意味か。


では、
島に100人住んでいて、大きな魚を釣れる人が10人中くらいの魚を釣れる人が20人いるとしましょう。


島の人が50人になると大きな魚を釣れる人は何人になるでしょう?


これが10人のままならいいんだが、残念ながら5人に減るんである。残念にして当然ながら。
そして中くらいの魚を釣れる人は10人に減る。


100人時代には30人いた中以上の魚を釣れる人が、15人しかいなくなる。


100人時代に釣りの上手い30人を雇ってた網元が、50人時代になっても30人を雇おうとしたら、中くらいの魚すら釣れない人まで雇わないといけない。


これを上の出生数に当てはめると、180万人いた子どもが130万人に減った。じつに50万人も減ってるんである。半分ではないまでもかなりの減りだ。


でも子どもの数が減っても大学の数は同じだし、企業の採用数も企業数がそんなに変わらない以上、まあ非正規社員だの景気の浮き沈みなどもあるだろうが、あんまり変わらないとする。

そして大学入試も企業の採用も、絶対評価ではなく相対評価


つまりは、以前なら大学生にはなれなかったレベルが人口減ゆえに大学生になれて、大卒として就職してるんである。


ちなみに2005年〜2008年は売り手市場で、就職しやすかった。


まあ、あんまり云いたくないんだが、
ゆとり教育というより、

人口減ゆえ低レベルの人間が相対的に増えた。

これが「今までとはタイプが違う」の正体なんではないか?
(ま、証明のしようもないし、出生数は徐々に減ってるから急に、というのも変だが)


そうなると、価値観や教育が違う以前に、もともとの脳の力が足りない、ということになって、
優秀な人は結局いつの時代も優秀、ダメな人はほんっとにダメで、いつまで経っても「使えないまま」。いくら育成してもムダじゃムダじゃそうだねジャコウネズミさんっという身もふたもない結果になってしまうんだが…。


なんだか夢も希望もなくなってしょっぱい気分になったので外れてたらいいし、叩けば直るとか、それなりに育てばいいんだが。


このあと、小学校の頃からゆとり教育ひと筋だった世代が就活のお年頃になってくるので、さらにいろいろ分かってくると思うけれども。


さらにちなみに、昨年、今年の採用はかなり厳しく再氷河期とさえ言われる。
彼らもまた“ゆとり世代”(というか大学全入世代)の一部だが、先輩たちと違ってかなりぎゃふんといわされ、挫折感も味わい、「自分のやりたいこと」などという青い理想など語ってられないヘヴィな状況でずいぶん鍛えられている。

彼らからすれば、2008年入社組は「のほほんと楽しやがって」に見えるだろう。

つまりはかつてのバブル入社組のように、ゆとり第一世代は下の世代に軽蔑され、会社のお荷物と化していくことになる。


一方で、景気がだんだん上向きつつある兆しが見えていることと、ニッポン企業が相変わらず新卒一括採用の悪しき風習をやめる気配すらないところをみると、
今のリーマンショック組(2009年-2011年卒)はとんだ貧乏くじ、第二のロストジェネレーションにもなりかねない。新入社員がバカなことなんかより、そちらの方が心配だと思うんだが。


一揆だ。


ちなみにゆとり世代は、
「野心がない」「安定志向」
という批判もされたりするが、
そんなのはゆとり教育とはなんの関係もない。ゆとり濡れ衣。それどころかこんなもん世代的な特色ですらない。社会がそうだからそう反応してるだけだ。


全面的に金融顔の偉いさんどものせいである。


さんざ再就職が困難で、はみ出したら即ルーザーのいびつな社会をつくっておいて、なーーにをしたり顔で言っとるんだ、である。


子どもの頃からそんな夢のない社会が続いてたら誰が野心なんか持つものか。当たり前ではないか。


凍った地面に花なぞ咲かないんである。